「十字架の道行き(ヴィア ドロローサ)」
2020年3月29日
西福岡のぞみキリスト教会
田中 聞多
今朝は、4月第2週の受難週を迎えるのに備えて、プロテスタントの教会ではほとんどやりませんが、カトリック教会ではおなじみの「ヴィヤ ドロローサ」即ち、「イエスの十字架の道行き」を、関連する聖書を読み、加賀乙彦の「聖書の大地」からイラスト地図を見ながら、14留からなるイエスの受難の足跡を辿ってみたいと思います。
10数年前になりますが、桂子と私は功さん夫妻と英明さん親子に誘われて平戸への車での1日旅行に出かけました。カトリックゆかりの地を巡る旅行でした。訪ねた教会の庭にヴィア ドロローサのミニアチュアがあったのをかすかに記憶しています。
小説家の曽野綾子さんは視覚障碍者のための旅行団を引率して聖地旅行を何度もされ、わたしの友人の何人かはそれに参加し、「十字架の道行き」を体験しています。
ヴィア ドロローサ即ち、イエスの十字架の道行きはエルサレムの北東から北西に伸びるおよそ500メートル位の道の傍らにある九つの留と、ゴルゴタの丘に建てられた聖墳墓教会に設けられた五つの留からなっています。
聖墳墓教会について一言簡単にお話ししておきます。
現在の聖墳墓教会が建てられた場所がイエス時代のゴルゴタとされたのは4世紀で
コンスタンティヌス大帝の母のエレナがエルサレムに来て、3本の十字架を発掘して以来のことです。発掘した3本の十字架を病人に触れさせたところ、その1本を病人が触ったとたんに病気が治ったので、それがイエスの十字架だったということになり
それが出てきた場所がゴルゴタと言うことになったと伝えられています。
十字軍によって聖墳墓教会が建てられたのは12世紀で、五つの教会の共同管理となっています。五つの教会とは、ギリシャ正教会、フランシスコ会(ローマカトリック教会)、ラテン典礼派アルメニア教会、エチオピアコプト教会、シリア教会の五つです。
※第1留…(ヨハネ18:28~33)イエスが裁判を受けたとされる総督官邸の跡地で、現在は小学校の校舎となっている。16世紀以来ヴィア ドロローサの出発点となっており、毎週金曜日の午後、フランシスコ会が先導して巡礼者や観光旅行者がこの場所から十字架を背負って巡礼し、それぞれの留で「スターバト マーテル」の祈りを捧げる。
第2神殿時代にはアントニオ要塞があった場所とされている。
十字軍の時代に教会が建てられたが、その後イスラム墓地に改装されたり、軍司令官の官邸や住居、政府施設、トルコ軍の兵舎として使われ、1923年から現在の小学校となった。
※第2留…(ヨハネ19:1~17、マタイ27:15~26)イエスが鞭打たれ、有罪判決を受ける場所で、フランシスコ会の所有地となっている。
敷地内には考古学博物館、フランシスコ会の学校、十字軍の時代に建てられた鞭打ちの教会と、有罪判決の教会がある。
鞭打ちの教会の敷地はかつて馬小屋や、紡績工場として使用された。16世紀頃から教会の壁の中からローマ兵がイエスを鞭打つ音が聞こえてくるという話しが伝えられている。
モザイク貼りの床や壁には彫刻が施されている。三枚のステインドグラスには、バラバ、冠をかぶったイエス、手を洗うピラトが描かれている。
有罪判決の教会のステインドグラスには、十字架を背負ったイエス、手を洗うピラト、拷問具を持つ天使が描かれている。
モザイク貼りの床の西側には、「石で鋪装された道」という場所があり、ピラトが最終的にイエスを有罪とした場所とされている。
※第3留… イエスが最初に倒れた場所とされており、この場所にアルメニア使徒教会が建てられ、教会の正面と、礼拝堂には十字架を背負って倒れこむイエスのモニュメントが置かれている。また、教会内には各時代の遺品を集めた博物館も併設されている。
※第4留… 嘆き悲しむマリヤがイエスに会った場所とされており、アルメニア使徒教会の敷地内にあって、苦悩の母マリヤ教会(失神の教会)がある。
現在は閉鎖されていて、内部を見ることはできない。
※第5留…(ルカ23:26)キレネ人シモンがイエスに代わって十字架を負わされる場所とされており、フランシスコ会の教会がある。
※第6留… ヴェロニカがイエスの顔を布で拭いた場所とされており、「ヴェロニカのベールと天使」のエッチングがある。
ヴェロニカは、イエスの服に触って出血性の病気が癒された女性だったとされている。
ここのシンボルは、壁に埋め込まれた石柱である。
伝承によれば、ここにヴェロニカの住居があった。
「ヴェロニカのベール」は、ローマ皇帝ティベリウスの難病を治して、5世紀以降現物とされる布がサン・ピエトロ大聖堂に安置されている。地下聖堂をもつギリシャ正教会がある。
※第7留… イエスが2度目に倒れた場所とされている。
市場の中にあって、イエスの時代には、この場所に「裁きの門」があって、当時城壁の外にあったゴルゴタの丘に通じていた。
この場所にある建物は現在コプト正教会の礼拝場として使われている。
※第8留…(ルカ23:27~29)イエスがエルサレムの婦人たちに語り掛けた場所で、ギリシャ正教会の壁に第8留のシンボルである「勝利者イエス・キリスト」と刻まれた石がある。
イエスの時代、この場所はエルサレムの城壁の外にあった。
※第9留… イエスが3度目に倒れた場所とされており、コプト正教会エルサレム総司教座が置かれた聖アントニオ教会の外壁を支える柱の一つがそのシンボルである。
この場所からエチオピア正教会の区画になっている聖墳墓協会の屋根裏に入ることもできる。
正式に第10留に行くには南進してアレクサンドル・ネフスキー教会のある角を右折する。
※第10留…(マタイ27:35.36)イエスが兵士たちから衣服をはぎ取られる場所で、聖墳墓教会に隣接してはいるものの、その外部に独立した聖堂が置かれている。
十字軍の時代にはこの聖堂から階段を上がって第11留に上ることができた。
※第11留…(ルカ23:33.34)イエスが十字架につけられる場所で、聖墳墓教会内にあるゴルゴタの丘の右側に設置されており、フランシスコ会の管轄下にある。
純銀製の祭壇はメディチ家のフェルディナンド一世が寄進したもの。
天井の中央のモザイク画のイエスの肖像画は十字軍時代の物。
他にモザイク画が天井や壁面に描かれている。
その内、イサクの肖像画はキリスト教では伝統的にイエスの十字架刑の予兆とされている。
※第12留…(マタイ27:45~54)イエスが息を引き取った場所で、ゴルゴタの丘の左側に設置されている。 ギリシャ正教会の管理下にあり、祭壇の足元には十字架が建てられたとされる窪みのある場所を示すために銀製の円形のプレートが置かれている。
また、イエスと共に二人の犯罪人が十字架にかけられたとされる場所には、祭壇の両脇に黒いプレートが置かれている。
ゴルゴタの丘の岩盤が露出している場所には、イエスが死んだ際に起きた地震によってできた亀裂がはしっている。
※第13留…(ヨハネ19:25~29)十字架の下のマリヤ。フランシスコ会所有の「スターバト マーテル」と呼ばれる祭壇があり、イエスの母マリヤに捧げられている。
祭壇の傍らにはリスボンより寄進されたマリヤ像が置かれている。
ここでは、十字架から下ろされるイエスの遺体を両手で受け止めたマリヤに焦点が当てられている。
※第14留…(ヨハネ19:38~42)イエスの墓で、五つの教会の共同管理となっており、円形建築物の中央に納められており、ビザンチン時代に墓の存在を際立たせるために、大理石製のモニュメントがそれを囲むようになったが、火災で損傷したために、ロシヤ皇帝アレクサンドル一世の資金でギリシャ正教会が修繕して、その際にロシヤ皇帝の王冠を持った天蓋が設けられている。
第14留は、礼拝施設のある部屋と石棺が置かれた部屋に分かれている。
石棺のある部屋では43本の蝋燭が昼夜燃えている。
石棺には大理石で蓋がされている。
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