「ないがままに」              2018年3月4日          

 

 マルコ8:14~21  招きの詞ルカ18:9~14

 

 今朝は陽射しが明るくて3月になりましので、春が来たと思いますが、春が来る前に私たちが覚えなければならないのは、イエスが苦しまれた受難週です。その後からイースターですから、自然の営みも春直前に春一番とか二番とか嵐が来る事と重なる思いがします。今朝主の晩餐式に預かりますが、イエスからの命をしっかり受けたいと願います。今朝は「ないがままに」という題にしましたが、普通は「あるがままに」とよく言います。それは今の自分があるがままに、そのままで良い、自然のままに生きることを指します。でもどこが自分のあるがままなのか良く分からない場合もあります。仏教の臨済宗妙心寺派のお坊さんで玄侑宗久さんは「中陰の花」という作品で芥川賞を受けられた方です。この方が「ないがままで生きる」という本を書かれました。私たちは日常、あれも無い、これも無いと思いながらもそのままなに生きているじゃないかと言われるのです。

 

 今朝はこの玄侑宗久さんではなくて、皆さんは川原尚行さんという方をご存じでしょうか。この方はペシャワール会を作られた中村哲医師の九大医学部の後輩で、外科の医師で、いまアフリカのスーダンで医療活動をしておられます。この方を紹介したいと思います。九大の臨床医として働かれ、留学しないかと勧められた時に、殆どの人がアメリカに行くのですが、この川原先生はアフリカを選ばれました。途中でロンドン大で亜熱帯病などを学ばれて、またアフリカに戻られ、タンザニアの日本大使館の医者に、その後スーダンの日本大使館の医者になられます。その頃の年収が1700万円、ところがこの川原先生が診れるのは大使館とかに居る日本人だけだったのです。現地の人を診れません。スーダンの病に罹っている貧しい人々を診れません。そこで、川原先生は大使館のドクターを辞めて、現地スーダンのでの医療活動を2005年頃から始められました。今でも収入は月に10万円にも足りないそうです。奥さんと子供2人は日本に帰って来て、家族を支えるために奥さんは小学校の先生になられて、子供さんを育てられました。

 

 東京都全体に匹敵する広さの所に、医療施設が一軒も無い。それでドクターは3つの村を選んで診療   

所を作る計画を立て、2015年か ら始められました。一つの診療所に一千万円ほどかかるので、三 

つで三千万円の事業です。三つめが今年2018年の1月末に完成したそうです。三千万円はとんでも 

ないお金なのです。でもやるしかない。お金も無い、人手も足りない、ないない尽くしですが、やるし 

かないと川原ドクターは動きます。その診療所で現地の人々を診るのですが、その人々は貧しいので

療費が払えない。川原先生は有料診療を原則にしておられます。無料診療にはいろいろ問題が後々出て

来るからと考えられての事です。その一つの診療所で、或る成長出来ない女の子は心臓が悪いからだと

川原医師が見つけて、首都ハルツームに連れて行きます。そこで検査して手術で治る事が判りますが、

親は手術のお金が無いと言い始めるのです。医者としては放っておけません。川原先生はロシナンテス

という、中村先生のペシャワール会と同じ会を作っておられます。ロシナンテスとはドン・キホーテ

が乗る馬の名前です。無茶苦茶な冒険をするドン・キホーテ(川原先生)を乗せて走るという意味で

しょう。三つの診療所を建てたりする資金などを調達したりしています。そのロシナンテスが女の子の

治療費を出そうと、ドクターは決めます。結局はスーダンの方で治療費を出してくれる事になり、その

子は今は普通に成長できているそうです。

 

でもスーダンにはお金も無い病人たちがたくさんいます。その皆をロシナンテスが支える事はとても出来ませんし、自分たちがお金を出して治してあげる事が良いのかどうか、答えがないと川原先生は言います。答えがないけれども、とにかく何とかしようとドクターは動かざるを得ません。そんな気持ちで現地で活動しておられます。治療だけでなくて、病気の元になる環境、先ずは飲料水の問題で井戸を掘るなどの改善にも取り組んで居られます。答えがない、お金がない、でも前に動くしかない。またアフリカの部族間の対立による争いを解消するために、子供たちにサッカーを教えて、平和の基礎を作ってもおられます。そして日本の3.11の大震災の時には、日本に飛んで来られます。その時、ドクターが住んでいる部族の長が、「日本に自分たちのお金を届けてくれ。お前は俺たちのファミリーだから。」と言われたそうです。いまでも、スーダンと東北とを行ったり来たりしながら、お金も無い、人手も無い、ないがままなんだけれども活動を続けて居られます。貧しい人々に、お前たちの病気を治してやる、という高い所からの目線ではないのです。でもそこでの活動に答えが無い。真っ二つです。でも何もしない訳にはいかない。

 

今朝、「ないがままに」と題を付けました。川原先生も私たちも「ないがままに」生きていると言えないでしょうか。信仰が無い、信仰が弱い小さい。すぐ崩れてしまう。或は、隣人への愛が無い、友だちへの愛が無い、弱く小さい。ではどうするか。頑張って頑張って隣人への愛を持つようになるべきなのでしょうか。弟子たちもイエスから「まだ悟らないのか」と言われます。弟子たちにも信仰が無い理解が無いのですが、そこで比較に出されたのが、ファリサイ派のパン種とヘロデのパン種です。ファリサイ派のパン種とは何でしょうか。彼らは律法に忠実なグループでした。だから律法学者とが一緒に行動する事が多かったのです。律法が有り、それを守る事が大事でした。ヘロデはヘロデ大王の息子で、これは権力と富とを手にしています。共に律法と権力・富、自分たちが持っているものを大事にし、もっと大きくする事です。パン種とは大きくする働きをします。イエスは「私が求めているものはそんなものではない」と、弟子たちに、四千人、五千人に僅かのパンを割いて与えた後に残ったパン屑は幾つの籠だったかと聞かれます。パンは五つとか七つとか、人々の数からすれば無いに等しい数です。そこから何が起こったか。

 

 五千人に五つのパンしか無かったけれど、最後は沢山の籠にパン屑を集めたではないか。ここにイエスが働いて下さるのです。律法をもっと大きくしっかり守らせる、富と権力をもっと大きくと動くファリサイやヘロデ。これに気を付けなさいと言われるイエス。まだ悟らないね、でも私と一緒に歩きなさい、付いて来なさい、とイエスは弟子たちと共に歩まれました。私たちも信仰が在るのかと聞かれれば、だいぶ怪しいです。愛が在るのか、隣り人に対する愛が在るのか、あの人に対する愛が在るのか、と聞かれれば、在りますとは答えられません。だから、愛が在る人にならなければならないのか。信仰が在るという人にならなければならないのか。五千人に五つのパンしかなかった。無い!、しかし、無いけれど前に向かって進む中で豊かな結果が与えられる、というのがイエスの教えではないでしょうか。のぞみ伝道所もお金も人も無い、でも、無いまんまで前に進んではいけないのでしょうか。今もこうして進んで行かせて頂いています。「ないがままに」今朝もこうして礼拝をさせて頂いています。この中でイエスの愛を私たちが感じる事が出来ないのでしょうか。イエスの愛を、イエスの眼差しをしっかり受けることが出来るのではないでしょうか。イエスの愛の中で、お互いのために祈りながら前に進みたいと願います。