「成長させて下さるのは神」       2019年10月27日 

 

第一コリント3:6~9  招きの詞コロサイ2:16~19日

 

 

 

 皆さま、お早うございます。来週は11月で、こののぞみ教会の連盟加入が認められるかの総会が在ります。お祈りの覚えて下さい。旧約聖書には、今朝使いました「成長」という言葉が、新共同訳でたった1回しか出て来ない様です。旧約のヤハウエ―の神は、所謂、砂漠の神ですから木が繁るとか成長というイメージは無いのでしょうかね。カインとアベルの話から、神は農作物の捧げ物をあまり喜ばれなかった様です。やはり乾燥地帯の神なおです。日本などモンスーン地帯では、温帯で降雨も多く、これが災害にもなりますが、自然は緑豊かです。先日、天皇の即位の礼が在りました。その日に西南大で、天皇制の問題で、ディスカッションと講演会が在りました。講演されたのは恵泉教会の会員の方で辻子ズシ実という方でした。この方の事は詳しくは知りませんが、靖国神社問題などの著書も在ります。この辻子さんに依れば、天皇は神であることを先ず認めなければならない、そこを外すと天皇制の問題は分からなくなると言われます。

 

 

 

 この神の大元は天照大神です。即位の礼の前に天皇は、一人で神と一緒に食事をしたのです。公開はされていませんが、そんな部屋が在るそうです。完全に天皇は神なのです。戦争中に現人神と成っただけではなく、ず~っと現人神だったのですし、自ら田植えをして刈り入れをして、それを食べる儀式化が在るのです。成長させる神、実りを豊かにさせる神であり、この制度が長く続いて来たのです。神として即位する事は宗教ですから、この儀式を国費で賄うのは憲法違反だと辻子さんは言います。ですから健保違反は、天皇は神だという事から発生するわけです。軍国主義などで現人神と担がれる事とは違う視点が必要なのです。天皇が神である事を私は信じません。私が信じている神とは違う異教の神なのです。皇室は英国の皇室によく譬えられます。交流も盛んですが、英国の王室はKing、Queenで、神は別に居られるのです。それに対して、昔のローマ帝国は神聖政治で、神も兼ねていました。その場合はEmperorと呼ばれて、天皇もEmperorです。Kingでは在りません。私たちは神について考えなければなりません。

 

 

 

 パウロが「成長させてくださるのは神」だという時の神は、どんな神なのでしょうか。これをはっきりさせなければなりません。作物を聖著させてくださるのは、いろんな異教の神が存在しています。パウロが言う神は旧約のヤハウエの神なのですが、その様な表現よりも、この場合には、「イエス・キリストの父なる神」と言う方が正確だと思います。聖著させてくださるのはイエス・キリストの父なる神なのです。神だけが働いて成長させて下さるのではなくて、イエス・キリストが私たちと共に居て下さって、私たちと共に生きて下さる、その時に私たちを励まして下さり、命を注いで下さるのです。そのイエスの父なる神である事をはっきりさせておきたいのです。天の高い所に居られて、そこから働きかけて下さり成長させて下さるというイメージではなく、子なる神がこの世に降りて来て下さって、私たちと共に生きて下さりながら、成長させて下さる神だという理解です。それは同時に聖霊として働いていて下さる神でもあります。

 

 

 

 ですから単に「天の神様」ではなくて、「イエス・キリストの父なる神」としっかりこのパウロの言葉を理解したいと願います。成長させてくださるのは神ですが、何を成長させて下さるのでしょうか。勿論、私たちの体や精神や私たちの信仰を成長させて下さるのかもしれません。私自身を振り返りますと、私の信仰が成長しているとは言えない気がします。このコリント書では、教会、つまりコリントの教会です。このコリントの教会が成長できたのはアポロでもなくパウロでもなく、神のお陰だったのだと言うのです。種を蒔いたのはアポロかパウロか、でも教会を成長させて下さったのは神だったのだとパウロは言います。子なる神イエス・キリストの父なる神なのです。コリントだけではないでしょう。私たちのこののぞみ教会を成長させて下さる方も同じだと信じます。でも、こののぞみの成長とはどんな事なのでしょうか。

 

 

 

 少ない人数が増えて、大きな教会になる事なのでしょうか。そうは言っても中々そうなりそうではありません。その様に私たちは考えていないと思います。では、教会の成長とは何かと言いますと、それは私たちの交わりです。お互いのために祈ったり、何か出来る事を少しでもする事でしょう。この様な事が成長していく事をイエス・キリストの父なる神が導いて下さるのです。共に歩みお互いのために祈る、この交わりを成長させて下さるのだと思います。或は深めて頂くのではないでしょうか。でも教会の成長はそれだけではないと私は思います。では、他に何があるのかと申しますと、玄関を入られると、梶原さんが作って下さった、アイヘンバーグの、教会の外に居られるイエスの絵が在ります。イエスの周りにはホームレスの人たちでしょうか、その只中にイエスが居られる絵です。成長は教会の中だけの問題ではなくてこのアイヘンバーグの絵の様に、教会の外の世界とこの私たちの交わりの関わり方と言い

ますか、交流の在り方を含むと信じます。私はむしろそちらが大事ではないかと思います。  

 

 イエスがそこに居られるのですから。外の世界と共に歩む事を考えなければならないのです。この絵に現された事の為に祈る事を考えなければなりません。教会の外に居られるイエス・キリストと共に歩む事、この事に於いての成長が導かれる必要が在ると私は思っています。この世の弱く小さくされた人々、久山療育園の街頭募金がありました。できれば一度は久山療育園に出かけて頂きたい。重症心身障がいの方々にもやはり喜びが在るのです。目がそれを現しています。その様な弱く小さくされた方々の為に祈り、奉仕する事、出来る時に少しでもする気持ちが大事です。ず~っといつも、という事は出来ませんし、そういう事では在りません。私たちはお互いを大事にしなければなりません。ただその様な内向きの事だけではなく、この世の弱く小さくされた人々の只中に立って居られるイエスに従うという意味で成長する事、これを導いて下さるのが、イエス・キリストの父なる神であると信じます。連盟に加入できるかという問題よりも、お互いを大事する事が出来るか、もう一つは、教会の外に出て働いていて下さる、そのイエスに従って私たちも歩む、その歩み方に於いて、私たちが成長するかどうか、その事をぜひ祈って参りたいと願います。成長する事はイメージとして捉え易いのですが、実際には複雑な事が絡み合って中々難しい事です。そこを共に学び合いながら、共に祈り合いながら、支え合いながら、イエスと共に歩んで参りたい、そこで成長させて下さるのはイエス・キリストの父なる神であります。 子なる神イエス・キリストのお働きに感謝  アーメン