クリスマス礼拝 メッセージ

 

 

 

「新しいイスラエル」 2019年12月22日クリスマス礼拝

 

マルコ3:1~6    招きの詞 創世記32:23~31

 

 

 

 皆さま、クリスマス おめでとうございます!心から感謝したいと思います。クリスマスですが、俗な言い方をしますと、「イエスさま、何のために来たと?」言いたくなります。暗闇に光が射したとかいろんな良い言葉が在るのですが、いま世界を見ても日本を見ても、全くと言っていい程、希望とか光が見えない気がします。中村哲先生もアフガンという国を新しく創ろうとして、国を興そうとして頑張られましたが、反対勢力によって、志半ばで凶弾に倒れられました。日本の政治も、だれも責任を取らないで、のらりくらりと逃げまくっていますが、その間に国民はどんどん貧しくなり、子どもたちも貧しくなっています。いろんな問題が社会の隅々で酷くなっています。こんな状況ですので、ただ暗闇に光が射したと言うだけでは、空しい感じがします。今この時、悲しんでいる方々がたくさん居られます。病のために、戦争のために、悲しみと命の恐怖に怯えている人々がたくさん居られる中で、その様な方々を覚えないで、そんな事には目をつぶって、光が射したと言っても、本当に空しく響きます。

 

 

 

 「主イエスよ、早く御国を来たらせて下さい!神の国をこの世に実現させて下さい!」と祈る気持ちですが、イエス自身が福音宣教の初めに、ガリラヤで「神の国は近づいた。思いを新たにして、福音を信じなさい」と言って、イエス自身が神の国、福音で在る事を示したのだと思います。マタイの初めには、マリアが「この子はインマヌエルと呼ばれるであろう」と告げられた事が書かれています。「神は私たちと共に居られる」という意味ですね。私たちと共に居て下さるはずなのに、どうしてこの様に悲劇が起るのか。私たちの力ではどうしようもない事が起るのか。こんな気持ちになります。神の子イエスが、この世に来て下さったのは、私たちの力ではどうにもならないような悲劇や絶望の只中に、降りて来て下さったのだと考える事も出来ます。この世を全くの光の世界にするという事よりも、暗闇の只中で、沈んでいる人々と共に、その暗闇の底に居て下さる為に、天から降りて来て下さったのだという気もします。

 

 

 

 少し前には、物すごい数の難民が生まれて、アメリカやヨーロッパを目指しました。しかしその難民が拒否されて、何処にも行きようが無くなっています。難民は国内にも、若い人々や中高年の人々も、貧困にあえいでいる人々が非常に多く居られます。そんな状況です。そんな私たちと、イエスは共に居て下さる、その事が喜びで在り、嬉しい事だと思えるかどうかですね。神様が傍に一緒に居て下さると言いましても、中々嬉しくはならないですね。私自身が中々そうは思えないのです。大きな悲劇が在ると、「神よ、どうしてですか?」と言いたくなってしまいます。イエスはただ私たちの傍に居て下さるというだけではなくて、私たちの行き詰った気持ちをそのまま受けて下さる、私の在りのままを受けて下さる、という事だと思います。

 

 

 

 皆さまはカネミ油症事件を覚えて居られるとでしょう。カネミ倉庫がライスオイル、米で食用油を作りました。その製造工程で、PCBが混じって、体中に痛みが走り、皮ふも黒くなったり、大変な被害が起こりました。その被害者に紙野さん一家が居られました。筑豊の方ですが、家族全員が被害者になりました。紙野さんは家族の事を思いながら、或る夜、祈って居られた。そしてその内に泣いてしまわれました。そして紙野さんが泣いている時に、一緒に泣いて居て下さるイエスに出会われたのです。この話を私は忘れる事が出来ません。紙野さんはクリスチャンでしたから、いろんな教会を訪ねて、「一緒のこの問題を担ってくれ。一緒に闘ってくれ」と頼んで回られましたが、どの教会も「それは教会の問題ではない」と言って、断りました。その中でただ一人、犬養先生の福吉伝道所が受けて下さったのです。そしてカネミ倉庫の門前で、毎月1回、そして500回、座り込まれました。補償請求ではなく、人間としてこの問題を共に担う事を訴えられました。500回を期に座り込みを止められましたが、犬養先生は紙野さんの問題を共に背負って、闘われました。

 

 

 

 その思いは中々人々の中に拡がりませんでした。紙野さんは、補償を求めるよりも、身体を元に戻せと言うよりも、ご自分は別の公害問題の被害者の事(水俣病問題など)が分かる様になったと言って、元のまんまだったら自分は多分、他の人の事が分からなったと言われました。そんな紙野さんと共に泣いて下さるイエスに出会われた。イエスは弱く小さくされた人々、悲しみ苦しみの只中に共に居て下さったのですが、ただじっと傍に居るだけではなかったのです。先程の聖書の記事ですが、手の萎えた人が居て、安息日だけど、手を治して良いかと皆に聞きます。その頃のユダヤ教では、安息日には労働や作業をしてはいけなかったのです。歩く歩数も制限する律法が在ったのです。それで皆に安息日だけど、この手の萎えた人の手を治して良いかと尋ねますが、皆黙っています。それでイエスは怒って、その人を癒されました。そこで律法に詳しいファリサイ派の人たちは出て行って、ヘロデ派の人たちと、何とかイエスを殺そうと相談し始めました。

 

 

 

 イエスは闘われたのです。神の名を騙る神殿宗教者や律法学者たちと闘いました。その闘いの末に殺されました。或る意味で、イエスは神と闘われた。実際は神の名を騙る連中とでしたが。皆さまはイスラエルという民族の名をご存知ですね。元々へブル人とかヘブライ人とか、ユダヤ人とか言いますね。ユダヤ人は12部族の内のユダ族に由来し、ユダヤ教を信じる人々を指すようになりました。いつからそう呼ばれる様になったかは正確には分かりません。しかし、イスラエルという名前は、先程、創世記を読んで頂いた中に、はっきり書かれています。ヘブライ民族の祖先にアブラハムが居て、その子がイサクで、更に、その子供がエサウとヤコブでした。この二人の長子の権をめぐっての確執はご存知ですね。二人は決別しましたが、その内に仲直りを求めて、出会います。その途中でヤコブが或る人と取っ組み合いをしました。その時、その人が、「お前は神と闘ったのだから、これからはお前はイスラエルと名乗れ」と言います。つまり、イスラエルとは「神と闘う人」なのです。

 

 

 

 このヤコブの末っ子がエジプトの宰相になったヨセフでした。そして出エジプトの話につながります。このヤコブに、イエスのご降誕を譬えたいと思っています。神と闘う人、イスラエルです。ユダヤ人は腰の所に弱い所が在るそうです。このヤコブの故事からでしょうか。イエスはいま見ました様に、或る意味で、神と闘われました。正確には、神の名を騙る連中とですが。イエスは神と闘う人として、この世に来られた様にも思います。自分たちは神の使者、神の代理だと名乗って、人々を苦しみに追いやっている連中との闘いでしたが、実質、神との闘いだったのです。その神の名を騙る連中の被害者の象徴が、ガリラヤです。ガリラヤは本来、豊かな土地でしたが、そこに貧しくされた人々がたくさん居たのです。その人たちの姿をイエスが見て、「深く憐れまれた」と訳されていますが、姿を見て、腸ハラワタが痛くなりました。それほどに衝撃を受けたのです。そこでイエスは闘い始めたのだと思います。自分たちは神の代理者だと信じ切っている連中は、イエスを「神を冒涜している」奴だと決めつけて、殺そうと諮り、とうとう殺してしまいました。この意味での神との闘いが在りました。

 

 

 

 もう一つの闘いが在りました。十字架上で、息絶えそうな最後の場面で、「エロイ エロイ レマ サバクタニ」と叫んだ事を、マルコが始めて伝えました。その伝説が在る事をマルコが見つけたのでしょう。そして福音書を書く動機になったのではないかと私は思っています。イエスのこの叫びを、ローマの百人隊長が「この人は、本当に、神の子であった」言います。ローマの隊長に証言させているのです。そこまでマルコは書いています。結局、イエスは私たち人間にとっての究極的な問いをイエスが神に対して問います。どうしてこういう事になるのか、私たち人間には分からない、その様な問いです。「どうして?」、英語でも、”Why?”という問いには中々答えられないです。それをイエスは神の子として、神に問います。私たち人間も同じ問いを叫びます。しかし、空しい問いです。神からの答えは在りません。

 

 

 

 神の子だと名乗られたイエスが、父なる神に「どうしてですか?」と叫ばれたこの出来事こそ、神との闘いで在ると思います。私たちがどんなに希望の無い状況に置かれても、その傍でイエスが同じ声で、「神様、どうしてですか?」と叫んで居て下さる、その事の為に、この世に、私たちの傍に来て下さった、今朝はイエスのご降誕をその様に、受けています。現在は時代状況が難しいですから、イエスのご降誕が何のためなのか、語り難い状況です。そんな中で、私たちがどうしても叫んでしまう叫びを受けて、私たちの力の無さを受けて、私たちの絶望を受けて、全く途方に暮れている私たちを受けて「神様、どうしてですか?」と叫んで、神と闘って下さったイエス、別の意味では、神に私たちの在り様を神の子として取り次いで下さったのだと受けています。

 

神の御子イエス・キリストのご降誕を感謝します。 アーメン