「復活したイエスはガリラヤへ」   

                    2018年10月14日

 

使徒言行録9:1~6   招きの詞マルコ16:5~7

 

 

 

 皆さま、お早うございます。大学生の方々が来られると気持ちが若くなった感じです。よくいらっしゃいました。今朝はガララヤという事ですが、聖書の後ろの地図を見て頂きたいです。一番後ろの1番は「聖書の古代世界」です。これで全体像を見て下さい。昔イスラエル王国がありました。初代のサウル王は紀元前1021年から1000年まで21年間、直後は息子のイシュバールが継ぎましたが、995年にはダビデが統一し(地図4)、963年に没するとその子ソロモンが治めました。922年頃にソロモンが死ぬと、王国は北と南に分裂します。(地図5)南はユダ王国、北は10部族が居ましたが、結束が固かったわけではありません。北はアッシリアに占領されて、ガリラヤ、サマリヤは植民地になってしまいます。どんどん異邦人が入って来ますので、ついにサマリヤはユダヤ人たちが自分たちとは違うと、その土地に入る事も避けていました。「異邦人のガリラヤ」(マタイ4:15)とも呼ばれていました。地図6はイエスの時代のものです。ガリラヤ湖は北緯33度に在りますが、日本では熊本当りです。ガリラヤはおよそ40キロ四方の土地で、あまり広くはありません。農産物が取れる豊かな土地なのでそれだけに他国から狙われます。

 

 イエスの時代にはローマが勢力を拡大中で、まだ少し自治が残されていました。でも直接税を取って居ました。家族4人の標準世帯で年間22万円位とも試算されています。これは私たちにしてもすごく痛いですよね。これ以外に神殿税が在りました。それとは別に旧約時代から十分の一を神殿に納めていました。神殿税には三種類位は在ったようです。それ以外に通行税とか物品税などが在って、相当に絞られていました。大体収入の3割から4割を取られていたそうです。ですからガリラヤは既に貧富の差が大きかったと思われます。チビのザアカイさんを覚えておられるでしょうが、彼は徴税人の頭でしたから、彼はすごい金持ちでした。このガリラヤの方言、基本はヘブル語ですが、それがアラム語です。日本で言いますと東北弁とか沖縄弁でしょう。沖縄から本土に出て来ると、ほとんどしゃべれない。そんな差別がありました。今も在ると思います。アラム語、ガリラヤなまりは大きかったので、イエスの裁判の時に、ペトロが見届けようと密かに大祭司の中庭に入り込みますが、言葉使いで見破られますね。非常に差別され搾り取られて苦しんでいる人々のガリラヤに、復活されたイエスは真っ直ぐに行かれたのです。非常に貧しい人々を「プトーコイ」と言いますが、彼らがイエスの下に集まって来たのです。貧しい寡婦の話が有りますが、彼女もプトーケーと女性形が使われています。彼らの姿をイエスは見て、腸ハラワタが痛くなりました。それ程に状況はひどかったのです。

 

いま私は過去のガリラヤの話をしました。今朝お話したいのは現代のガリラヤです。沖縄とか東北、今ではフクシマと片仮名で書いたりしますが、原発で汚染された状況、家族が分断された状況を指しますね。沖縄もアメリカの基地のせいで人々が苦しい目にあっている状況を指します。両方とも日本の歴史の中で犠牲を強いられてきました。その歴史が長いのです。沖縄は島津藩の時から、明治政府になってもです。島津藩自体が強力な兵力を保つために農民たちの収入の6割くらいは租税に取られていました。東北も戦前から犠牲を強いられて来ました。今日もう一つ紹介したいのは、犬養先生です。今度1月20日に来て下さいますが、犬養先生には「筑豊」がガリラヤだったと思います。ここも人々が犠牲を強いられて来ました。石炭が必要な時は、大きな炭鉱は栄えますが、坑道に潜って働く零細の炭鉱は悲惨でした。上野英信氏の「追われゆく鉱夫たち」とか「地の底の笑い話」などがあります。坑道の中に馬が引き入れられて、石炭を運び上げていたのですが、馬自体はず~っと坑道の中に居ます。その馬に生まれ変わっても良いという老婆の話もあります。犬養先生はその筑豊でイエスに出会ったと言われます。其処で虐げられて犠牲を強いられていた人々、朝鮮から徴用された人々も含めて、その人々に出会う事で犬養先生はイエスに出会われたのです。

 

 日本の状況だけではありません。アフリカ、南米、中近東など争いが絶えません。今でもアフリカでは部族間の闘いで、相手を全滅させ様と凄まじい闘いを広げています。これは大国、欧米露中の代理戦争をしている部分も大きいと思われます。資金や武器は与えられてお互いに血を流しています。アルゼンチンはいま経済危機の中に在りますが、その他の小さい国々も人々は貧しいです。私の恩師の猪城先生は「欧米の五百年間の光と影」という文を書かれましたが、如何に長く欧米が世界を支配し、搾取して来たかを書かれています。そのシコリがいまだに影を落としています。イスラム過激派の兵士を中南米から集めています。シリアの内戦もアメリカ・ロシアの対立の陰を落としていますね。この様にどこを見ても、犠牲を強いられている地域を聞い出すことが出来ます。

 

 もう一つ付け加えたい事があります。今度、沖縄県知事に玉城デニ―氏が当選しました。この方の父親はアメリカの海兵隊員です。その息子が知事になって、基地反対と掲げていますので、アメリカ政府はいまデリケートになっているそうです。私はこの玉城デニー氏自身もガリラヤだと思います。ハーフですから子供の事は非常にいじめられた。母子家庭で非常に貧しい思いをされました。そんな中を潜り抜けて来られました。そんな思いも有って知事になられたので、辺野古基地反対も有りますが、子供の頃からの苦しい状況も何とかしたい、つまり沖縄の人々の思いは、単に基地反対だけではなくて、ずっと犠牲を強いられて来た事に対する思いが対のです。その気持ちが今度の知事選で影響したのだと多くの人が語っています。私もそんな気がします。

  

 そしてもう一つは、皆さまお一人お一人のガリラヤです。或は過去に非常に苦しい思いをして来られた方々も居られると思います。そこもガリラヤだったのです。そこにイエスが来られた。復活のイエスは、今の私たちのガリラヤにも来て下さった。過去にその思いをされた方、また今その只中に居られる方々も居られるでしょう。その苦しいガリラヤの只中に復活されたイエス・キリストが来て居られるのです。それを福音書の著者マルコは一生懸命伝えようとしていると思います。マルコ福音書にはクリスマス、降誕物語が在りません。復活したイエスがガリラヤに来られたからです。今、立ち往生している人々、犠牲を強いられている人々、どうして良いか分からず迷っている人々、その方々が置かれている、其処もガリラヤだと思います。其処へイエスは、復活して真っ先に来て下さった、その事をマルコ福音書は語っていると信じます。栄えるエルサレムにではなく、異邦人のガリラヤに、更に今の私たちのガリラヤに、復活されたイエスは真っ先に来て下さっています。 アーメン