「共観する心」             2020年1月19日 

             日本基督教団 平戸伝道所

               犬養光博先生

  マタイ22:34~40

 

 皆さん、お早うございます。今年もこの場所に立たせて頂いて、とても嬉しいです。最初に、昨年は教会設立という大切な時を持たれたことを、心からお祝いを申し上げます。おめでとうございます。(有り難うございます)亀井先生ご夫妻と西村さんご夫妻が、その会の後、わざわざ、我が家に来て下さいまして、教会設立までの、様々な事や教会の歩みなどを報告して頂いて、僕は本当に嬉しい気持ちになりました。でも新しい教会がどういうイメージのどういう教会になって行くのか、これからが皆さんの大きな課題だと思います。僕は筑豊で福吉伝道所を46年致しました。それから離れて9年目になるのですが、いろいろ考えさせられて反省する事ばかりですが、教会とはどういう所なのか、何なのかという事が私たちの大きな課題だと思います。その事に触れる様な形で、「共観する心」という題でお話をさせて頂きたいと思います。

 

 教会設立の感謝会で、この会堂一杯に人が集められた写真や資料を頂きまして、大切にしています。びっくりしたのですが、1999年、亀井先生がここの責任者になられてから、僕を招いて頂いて、年に1回ですが、礼拝させて頂いてもう20年になると思います。年に1回ですが、支えられて来た事を感謝したいと思います。福吉伝道所の閉鎖後、松岡澄子さんがこの教会に出席させて頂きました。昨年6月、急に亡くなられて、僕も大きなショックを受けましたが、亀井先生ご夫妻と共に皆さんも来て下さって、送る事が出来ました。以前、福吉伝道所に集って下さった方々が葬儀に駆けつけて下さいました。そこで、「澄子さんが言ってたのよ」という事で、誰かが死んだ時に集まっても仕方がないんだから、生きている間に集まろうという事になり、今日来て下さっている藤井さんご夫妻も呼びかけ人の一人になってくださったのですが、11月に福吉で集まる事が出来ました。澄子さんが本当に導いてくれたんじゃないかなとみんな言ってました。

  

 本当に楽しい会で、みんな大喜びで帰って行かれましたが、帰った後、何人かの人から手紙を貰ったのですが、その内の一つを紹介したいと思います。小田弘平さんで、キリスト教愛真高校の設立当初から先生をされていて、数年前、定年退職をされました。その小田先生がこんな感想を書いて下さいました。 

「犬養光博先生、素子先生、福吉に集う会に出席する事が出来、喜んでいます。開会礼拝には少し遅れ、申し訳ありません。開会礼拝のお話を聞きながら、思わされた事が在ります。不思議な事に福吉では、自分の欠点も何もかも出して、神様の前に出る事が出来るという事です。欠点だらけの私でも、イエスが共に居られる事によって、器として用いて下さるのだと思いました。背広も着なくて良い、背伸びも必要ないと思わされました。礼拝の中で、現場で自分に出来る事を精一杯やるだけしかないとお話された事を何度も、思い返して心に刻んでいます。帰宅後ふとアウグスティヌスの事を思い、世界の名著『アウグスティヌス』の解説を読んで居たら山田 晶さんが次の様に書いていました。 

 『千年前、アウグスティヌスが「世間」を去って「教会」へ赴いたのと逆のコース、ルターは「教会」を去って「世間」に赴いた。ルターは「世間」の中に新しい「教会」を打ち立てようとしたのだ』 

 『思想における永遠なものは、その時代を徹底的に生き抜くことによって得られるものである』 

 この事を書いたのは、『筑豊に出合い、イエスと出会う』(犬養先生の著書)の中で、「教会は宣教する場所ではなく、イエス・キリストの出来事が起っている場所である」という文章に出会ったからです。犬養先生の言われている事に、どれだけ肉薄しているか自信は在りませんが、教会やキリスト者も外に出るならば、もっと豊かになり、教会の外でなされる業がどんなに福音的なものになる事でしょう。(「教会は何処に立つのか」という僕の言葉)この言葉に同感します。筑豊でで小さくされたキリストに出会われたとの告白は、与えられた場所で、誠実に徹底的に生き貫かれた体験から出たものだと思います。こう考えると私も、既成の枠から離れて、与えられた現場で誠実に生きたいと思います。書きたい事はまだまだ在るのですが、今はここまでにします。福吉に集う会に出席でき、本当に良かったと思います。」こういう手紙なのです。

 

これは今日、僕が話そうと思っていた事をきちっとまとめて書いて下さったような気がしてならないのです。それで皆さんにぜひ聞いて頂こうと思ったのです。僕は、筑豊という現場、それとカネミ油症闘争という現場と、教会の関係がいつも自分の問題でした。教会の人たちには、いつもこう言っていたのです。「できるだけ教会と、自分が生きている場所とを一致するように、六日間は現場の生活をして、一日、或は一日の内のほんの数時間だけは、教会の礼拝で神様の事を考えるというのではなくて、出来るだけ、日常生活の中に教会的なもの、聖書的なものを持つ努力をする、逆に教会の中に日常生活を恐れずもたらそうと。そんな中で46年やって来たなという気がするのです。今考えてみると、やっぱり僕にとっては筑豊とかカネミとかの現場が在って、それと教会との関係をいつも考えていたなという気がします。

 

熊本に愛泉祈祷院という、小さな祈祷院があります。。そこが毎年2回、愛修会と言う研修会を開いておられて、昨年の夏、平和記念礼拝で話して下さいと頼まれ、2泊3日の愛修会に参加させて頂きました。祈祷を中心とした集会でしたが、大きな感動と問い掛けを頂きました、その会の創立者である日高範嘉先生が書かれた標語が印刷されてあり、「愛泉祈祷院よ 野戦病院たれ!」と書かれていたのです。いい言葉だなと思ったのです。「愛泉祈祷院よ 野戦病院たれ!」つまり、教会が先生にとっては現場なのですね。戦っているんです、その戦っている教会の中で、いろんな緊急に手当てをしなければならない人が、集まって来ている。「教会が現場や」、と僕は言いたいのですけど、それは、そこで本当の解決が在り、本当の治療が出来、そういう事が出来る場所として教会があちこちにあって、祈祷院は治療する場所であると言われた。僕はその事を皆さんとも共有したい気がするのです。「この教会は野戦病院たれ!」それは何か教会で学んだ事を日常生活で活かすとかを含むかも知れませんが、もっと深く、本当に教会そのものが野戦病院としての働きを、今要求されているのではないかという気がします。

 

まだ皆さんは報告を聞いて居られないと思いますが、昨日は、亀井先生も参加されて、部キ連(部落問題と取り組むキリスト者の会)の講演会が福岡で在って、僕も出かけました。びっくりするような事をいっぱい聞きました。亀井先生からも報告が在ると思いますが、本当にびっくりしました。今のネット社会の中で、差別が堂々と行われていて、被差別部落の人達がどんなに苦しんでいるかは全く知りませんでした。僕は今もガラケーの携帯を持っているだけで、スマホは持たないのですが、講師が話された事は、スマホを持って下さい、本当の事を伝えて下さい、大声で叫んで下さい、と言われて、考えさせられています。無責任な事がいっぱい取り込まれて、地名総鑑、つまり被差別部落の名前や被差別部落の人などが実名で挙げる事などが平気で行われていて、被差別部落の人達がどれだけ苦しんでいるか、講師の彼自身が被差別部落の出身で、本当に一生懸命に、3時間でしたかね、声をからして話しておられました。その中で彼が言ったのは、やっぱり、人々の「無関心」ということでした。

 

今僕は平戸伝道所でエレミヤ書をずっと学んでいます。月に1回だけの説教なので、中々進まないのですが、1186頁、エレミヤ書6章13節から、読みます。

 

「身分の低い者から高い者に至るまで 皆、利をむさぼり 預言者から祭司に至るまで皆、欺く。彼らは、我が民の破滅を手軽に治療して 平和がないのに、『平和、平和』と言う。彼らは忌むべきことをして恥をさらした。しかも、恥ずかしいとは思わず 嘲られていることに気づかない。それゆえ、人々が倒れるとき、彼らも倒れ わたしが彼らを罰するとき 彼らはつまずく」と主は言われる。     「身分の低い者から高い者に至るまで 皆、利をむさぼり」、に注目して下さい。その後に続く、「預言者から祭司に至るまで」というのは、いわば身分の高い人たちです。「身分の低い者から高い者に至るまで、 皆、利をむさぼり」なのですが、いつも問題なるのは身分の高い人たちです。新聞沙汰になるのは政治家であったり、資本家であったり、そんな人たちの悪や利をむさぼっているというのは見えるし、その事についていっぱい腹立たしい事が在るというそういう状況なんですが、「身分の低い者から高い者に至るまで、皆、利をむさぼり」というのはまさに僕自身が身分の低い者の中に入って利をむさぼっている。「身分の高い者が利をむさぼっている」のは、勿論、私たちが想像もできない様な利をむさぼっているのでしょう。けれども僕たち一人ひとりもまさに自分の利益、自分のため、そんなお金の事でなくても、自分が正しいと思っている事、その事を中心に動いている、そのこと自体が、国を滅ぼし、平和がないのに「平和、平和」と言う状態を作っているのです。

 

イザヤ書もそうですが、エレミヤ書でも、預言者や祭司や王とか、そんな人たちのことばかり言っている様に思うのは間違いで、身分の低い者も同じです。皆さんの教会の設立にも、「低い者と共におられるキリストが居ます教会」という表現が使われていたと思いますが、この身分の低い者と高い者とはむさぼり方が違うと思うのですが、どうでしょう。低い者のむさぼり方は、昨日も講演を聞いていて益々そう思ったのですが、やはり「無関心」ですよ。事件が在っても関与しない、知らない。「私は私の事で精一杯、その他に何が出来ますか」、それが僕たちの思いです。昨年のクリスマス、こちらはどんなクリスマスでしたか、僕は忙し過ぎて、とうとうクリスマスカードを一枚も書かないで過ごしました。それと言うのが、今まで口を酸っぱくして言っていましたが、あちこち商業的なクリスマスがいっぱいで、本当は教会がクリスマスをちゃんとしないといけない、こんな事を話し合ったりしていたのですが、僕がふっと示されたのは、今の教会はイエス・キリストの降誕を祝うのに相応しい場所なのだろうか。あの最初のクリスマスの様に、主が生まれた事を心から喜び、導かれた羊飼いや博士たちが本当に喜んだ、あのクリスマスを、今の教会は本当に喜んでいるのだろうか、そんな風に問われたのです。

 

その事の一つとして、そのクリスマスで紹介したのは、11月の6日の朝日新聞の「天声人語」なんです。ベトナムの女性が仕事を求めて、イギリスへ密入国したのです。コンテナで運ばれたのですが、その中で39人が遺体になったのです。「ロンドン郊外でトラックのコンテナから39人の遺体が見つかってから2週間になる。イギリスのメディアを見ると背景が少しずつ分かって来た。犠牲者の多くはベトナム人で仕事を求めて密入国だったようだ。その中の一人の20代の女性は携帯電話で母親にメッセージを送っていた。『お母さん、私の渡航は失敗です。愛しています。息が出来なくなって死にそうです』。送信時間は遺体が発見される4時間ほど前の事である。」まだ続くのですが、僕は非常に大きなショックを受けました。こんな事が起こっているのに、私たちは「無関心」で居られるはずがないのに、という説教をしたんです。それは12月22日の日曜日だったのです。翌23日の「朝日」に記事が出ていました。

 

(新聞を掲げながら)この女性なんです。日本にも来ていて、仕事をしたけれども、日本はいま外国人には厳しい条件で、実習生は3年で帰らなければなりません。彼女は一旦帰って、また日本に来たいと言ってたけれども、イギリスを選んでこんな目に遭ったのです。「朝日」は11月の追記事を載せたのです。僕はほんとにショックを受けました。僕には筑豊体験が在るのです。筑豊の子どもたちは、六〇年代、皆、関西・関東に向けて、中学を卒業すると皆、(高校生は僕が居た地域では一人だけでした)み~んな、出かけて行って働きました。ほとんどが紡績工場ですよ。今の日本に紡績工場は一つも無いでしょう。今では韓国と台湾にも無い。もっと違う所に移っている。僕ははその頃の子ども達に会って話をするんだけれども、「自分たちは筑豊から出て、大阪でどんなに苦労したかという話をしてくれます。僕は筑豊に居たので、そんな事とオーバーラップして、このベトナムの事ががどんなに大変だろうかと思ったのです。「朝日」はこれだけの事を伝えてくれたのですけど、その時は大変な事が起こっているのだなと思うのですが、すぐ忘れてやっぱり、日常生活の自分の生活の中に戻ってしまう。それ、どうにかならないのでしょうか。

 

教会の大きな役割は、まさに日常生活の中で起っている事がらを、誰が本当に聞いてくれるのか?私たち何事も無いかのように礼拝を守っていますけれど、これは、礼拝に出席している僕たちひとり一人の、神様から与えられた大きな課題ではないかなと思います。ここでも紙野柳蔵さんの事は度々語ってきたと思うのですが、紙野柳蔵さんも教会に通っておられて、油症被害者になって牧師さんに「一緒に歩んでください」と話されたけれども、聞き入れられなかった。それで、あちこち回られました。僕はそこで「無関心は公害殺人の加担者だ」という紙野さんの言葉に出会ったわけです。紙野さん自身が最終的に立たれた場所と言うのは、皆様も聞かれたと思いますが、「いや、私たちの油症事件が起る前に、水俣で水俣病患者が苦しんでいた。そのニュースは自分たちの家庭にも入って来ていて、自分も新聞やテレビを見ていたのだけれども、そこまでで、自分たちが油症被害者になって初めて、水俣病の人たちがどんなに苦しかったか実感できるようになった。それまでは全然他人事だったと。

 

それで紙野さんがどうされたかと言うと、「人の痛みや苦しみを感知できない様な体を返してもらっても仕方がない。人の痛みや苦しみを感知できない様な家庭を返してもらっても仕方がない」というのが紙野さんの結論だったのです。「元の体を返せ、元の家庭を返せ!」とカネミの門前で叫んでおられた紙野さんが、「あんな体や家庭を返してもらっても仕方がない。体を新しくしてもらわなければ、家庭を新しくしてもらわなければ、同じことを繰り返すだけではないですか」というのが紙野さんの結論です。僕は、他の人には分からなくても、教会の皆さんには、ぜひその事を分かってほしい。本当に新しい体、新しい家庭にして頂く事を抜きにしては今起こっている問題が解決できない。それで今日読んだマタイの個所を見て頂きたいと思います。

 

有名な個所です。マタイ22章、44ページです。「一人の律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。『先生、律法の中でどの掟が最も重要でしょうか。』イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」「律法全体と預言者」という事は、旧約全体はこの二つの掟に基づいているのだというのです。

 

僕たちが日常生活の中で、どんなに大変な事が起こっていてもその事に気付かなかったり、その事を通して、ここで語られている様に、大切な事へと行く通路を見い出す事が出来ない様な社会だと思うのです。でも、このマタイで、律法学者がイエスに、あの膨大な、立方体系の中で、何が一番大切かと聞いた時に、はっきりと簡潔に答えられたのです。十戒は2枚の板なのですが、十戒を中心にして旧約は、例えば申命記は十戒を詳しく言えばこうなると、大量の律法になって出てくるわけです。つまりユダヤ人たちが、十戒は十しかないのに、それから沢山の法律、例えば、安息日には何歩以上歩いてはいけないとか、そんな事を一々学び、それに違反しないように汲々としていた。しかし、旧約聖書全体は、「心を尽くして、あなたの神を愛せよ。自分自身を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」とこの二つだと、この二つを本気でやれ、というのが、いいですか皆さん、この二つを本気で聞け!じゃなく、本気で行いなさい!と命じられているのです。

 

最後に、先程の「利を貪っている」という言葉で、もう一つ「利」というのは何も「利益」の事をいうだけでは無い事についてです。

今、日本基督教団は信仰告白や教理をきちっとまとめて、それに違反する者は排除するという姿勢を取っています。聖餐式をきちっとしないような牧師は切る、という様な、裁判まで行って大変な事になっているのです。心を尽くし、精神を尽くして神を愛する。そして自分の様に隣り人を愛する、それを行いなさいと言われたのに、基督教団の信仰告白を守らなければ、日本基督教団の作った教理を守らなければ、そこから排除する。これ本当に律法学者が十戒をいろいろに解釈しながら、現実に合うようにと思う方法で作り上げてきたものに縛られて、そこから排除するのと同じでは無いでしょうか。

 

これは日本基督教団だけではなくて、他の教派でも起こって来ます。カルヴァンでもルターでも自分の教理と違う者は火刑にしたんですからね。恐ろしいい事ですよ。「利をむさぼる」というのは、お金の問題だけではなくて、自分の正しさ、自分の教派の正しさ、自分さえ良ければ良いというその事で、裁いて大変な事を起こしているのが、今の実情ではないでしょうか。ここまでです、僕の話したいのは。それで小さな教会であるし、いろんな問題を抱えているんだけれども律法学者がイエスから言われた、「心を尽くし精神を尽くして、あなたの神を愛せよ、自分のごとく、あなたの隣人を愛せよ」。 それを知ってます、と言うのではなく、それを行っていますと言える様な私たちひとり一人に何処でなるのか。

 

でも、福吉伝道所で、言いたい事を言い、本当に自分を飾らなくても、そこに集わせてもらえる。30人程の人が集いましたが、犬養先生に出会って幸せでした、とは言われましたが、「犬養先生と出会って、立派なキリスト者になりました」と言える人は誰も居りません。本当に、「今、教会に行ってません」とか、「自分は昔と同じです。ちっとも変わりません」とか、そんな人たちですが、みんなニコニコしながら、集まってくれて、「ここでは」という事で、本当に僕は嬉しかった。何か言いたい事を言えば良いというのではなくて、厳しい吟味がなされている。福吉伝道所の基本方針で在った、生活に教会を取り入れ、教会に日常生活を取り入れ、しかし、そこで、それがキリスト教的に正しいとか正しくないとかではなくて、自分が納得できる、本当に心から納得できるような、真実、間違ってるかもしれないけれど、真実の姿で歩んでいく、その事が、今言われているのです。これからますます大変な時になると思います。紙野さんに起った事が、いつ私たちの身に降りかかって来るかも分かりません。

 

私たちが置かれた場所で、本気で、神を愛し、隣り人を愛し、という事をやって行く、そんな毎日毎日で在りたい。それも、かっこよく出来る訳では在りません。恥ずかしい話ですが、今日はこのように背広を着て来たのですが、今日はこんな話をするので、背広ではなくて行こうと準備していたら、素子さんから「礼拝に、ちゃんと背広を着て行かなくては」と言われて、いつもなら喧嘩している所なのですけれども、ぐっと堪えていたんです。本当に腹立つことばかりなんです、我が家の中でも。立派になんか、中々成れないのです。でも在るがままの中で、素子さんにも赦してもらい、やっていけるのです。教会というのは、みんないっぺんに落ち込む事はないのです。落ち込む人も居れば、落ち込まないで活き活きしている人も居るのです。そこが、教会は良いんです。落ち込まない人が居るし、落ち込む人が居る、そこで自分らしく在り得る事が、今の社会でどれだけ大切か、それこそ、活動など何もでき無い、そしてまさに小さい人ですが、紙野さんがそうであった様に、私たちひとり一人が紙野さんの様になれば、力を発揮できる様になる。神様がその様に導いて下さる、それが、僕が今日、この新しくなった教会と共に歩むという、自分自身にとっての、一つの新しい指針でも在ります。

ありがとうございました。