「死の陰に座している者たち」       2017年1217

 

ルカ1:78~79  招きの詞:詩編21:1~6

 

 

  皆さま、お早うございます。寒い中を本当に有り難うございます。1週間、お疲れさまでした。永愛ちゃんも久しぶりだし、松崎君も元気だったでしょうか。今福さん、有り難うございます。それから井上さんご夫妻もお忙しい中を有り難うございます。そして皆様も寒い中お出かけ下さり感謝です。寒いと言えば、地球で寒い時と言えばいつを思われますか。普通の冬も寒いのですが、もっと寒いのは氷河期でしょうか。全部凍り付いている世界でしょう。氷河期はまた来るのでしょうか。実は氷河期はいつ始まってもおかしくない時代なのだそうです。大体氷河期と氷河期の間は1万年位で、今は前の氷河期からもう1万3千年経っているので、もう始まっても良い頃だそうですが、この温暖化で予測が非常に難しくなっているそうです。明日から突然凍り付く、そんな事はなくて何世紀もかけて寒くなるのです。私たちが生きている間には周りが凍り付く事は有りません。季節が変わり、時代が動く、私たちが想像しない世界が訪れます。全く新しい事が始まるのです。

 

 このクリスマスも全く新しい事が始まったのだと考えて良いと私は思います。今朝ルカを読んで頂きましたが、これは神の子が生まれるという予告が在った時に、ザカリヤの預言と書かれています。この一部には旧約の予言が含まれたりしています。読まれた所はイザヤ書からです。「暗闇と死の陰に座している者たち」と在りますが、これはマタイにも「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰後に住む者に光が射し込んだ」と在ります。マタイでは「住む」という訳ですが、元の言葉は同じで「座って居る」という言葉です。訳される方に依って違うのです。元は「暗闇に座って居る、死の陰に座って居る」という言葉です。「座って居る」を私は「座り込んでしまっている、力なく座り込んでしまっている、どうして良いか分からない」民の事ですし、もう少し強く訳せば「へたり込んでいる」と訳したいです。元気も無くなって座り込んでしまっている人たちと書いていると思うのです。

 

ザカリヤの預言で先ずは「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を」と「イスラエル」という言葉で始まっています。つまり旧約とのつながりを示していますが、それを一番意識したのがマタイですが、ルカも幾らかは意識して、その繋がりを書いていると思います。さらに「これは我らの神の憐れみの心による。」(78節)と在りますので、ユダヤ教との連続を示すような言葉を入れていますが、ではルカ福音書全部がユダヤ教の教えを書いているのかといえば、違う言葉が段々出て来ます。「この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ」と続きます。「あけぼのの光」ですが、これは「朝の光」ですし、「朝」といえば、新しい朝なのです。今日の朝なのです。「新しい朝の光」とルカは言いたいのではないでしょうか。ユダヤ教の教えに対して、イエスの教えは全く新しい教えですと言いたいのを、多くのユダヤ人に受け入れ易い表現にしています。ですから、新しい光が暗闇にへたり込んでいる人たちを、死の陰にへたり込んでいる人たちを照らすと言うのです。朝の光に照らされると清々しく暖かさも感じます。「照らす」という言葉は照明ではなく「姿を現す」という言葉です。朝の光は太陽ですが、それが「姿を現した、私たちに姿を見せて下さった」という言葉です。ですからそのお姿によって私たちが慰められ励まされ力づけられて行くのだ、そんなお姿を現して下さったのです。「光が照らす」とは「神がお姿を現して下さった」という意味です。「憐れみの心を持たれる神が私たちに姿を現して下さった」、それがイエスの誕生だとルカは言いたいのです。

 

 ですから第2章は「イエスの誕生」という構成になっています。暗闇とか死の陰とか、それが権力による事だと先週、お話をしましたが、大きな権力に抑え込まれている民に「憐れみの心を持った方が姿を現して下さった」それが「イエスのご誕生なのだ」とルカは言います。「憐れみの心を具体化して、人となって現われて下さる、姿を見せて下さる」これがイザヤの預言ですし、イエスはどんな方なのか、ザカリヤによれば希望の無い世界にへたり込んでいる人たち、或は死の恐怖を感じざるを得ない人たちに「憐れみ深い心を持った方が姿を現して下さった」というのです。あけぼのの光は私たちの一日中を照らします。この方がいろんな出来事を起こして下さるのです。貧しい人々を訪ねて、病気の人を訪ねて、「治りたいのか」と尋ね、「じゃ、治る様に」、或は迷い出ている人には、私の所に来なさいという話をされて、そこで出来事が起る、イエスが人と出会って下さった事がルカによる福音書に書かれているのです。イエスがどんな事をして下さったのか、どんな言葉を掛けられたのか、それを書いているのが福音書なのです。

 

その福音書の始まりが「暗闇にへたり込んでいる人たちよ、或は死の陰で恐怖に怯えてへたり込んでいる人たちよ、憐れみの心を持って居られるイエスが姿を現して、あなた方を訪ねてあなた方と共に居て下さるよ、と一生懸命にルカは福音書を書いたのだと思います。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと夫々の目で、とにかくイエスが私たちの間で、何をして下さったのか、神ご自身が姿を現して、共に居て下さって、何をしてくださったのか、福音書は私たちに伝えてくれます。そのメッセ―ジの始まりがクリスマスです。神の子の誕生とは何か、神の子は何をして下さったのか、それを福音書から受けて、励まされて未来に向けて歩むのだと思います。この暗い時代だと思いますが、只、暗い時代と言うだけではなくて、そんな中に在ってこそ光が私たちを照らしている、暗い事ばかりでは無いよ、今、光が私たちを照らしているよ、憐れみ深い神ご自身が姿を現して、共に居て下さるよ、これがクリスマスのメッセージではないでしょうか。この様にザカリヤが語った言葉から、励まし、そして希望への道を歩んで参りたいと願います。イエスのご誕生 クリスマス 感謝

 

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