「福音に信頼してあゆみを起こせ」――中村哲先生に学ぶ――

        2020年年6月28日

コロサイ1:24~29  招きの詞マタイ9:9~13

 

 皆さま、お早うございます。お変わりございませんか。東京はコロナ感染者がまた多く出始めて、特に20代30代の若者に多いそうですね。福岡も気をつけなければいけません。

 

松井さんは今朝も来て下さって、有り難うございます。礼拝の中での話や讃美歌もお聞き慣れない言葉が多くて、お分かり難いかもしれませんね。今朝の話も、あまりキリスト教的な言葉を使わない様に気をつけたいと思います。今日は礼拝後に、教会の総会がありますので、松井さんとお話する時間が取れませんが、あわてないでこれからお話できればと願っています。よろしくお願いいたします。

 

 昨年12月に中村哲先生がアフガニスタンで凶弾を受けて亡くなられ、世界中に大きなショックを与えました。今年に入ってからのコロナウィルス感染症で世間では忘れられた様にも見えますが、人の生き方として、とても大きな事を果たし、教えて頂いたと思います。

 

 非常事態宣言も解除され、やれ日常生活だ、経済活動だ、学校の再開だと言われていますが、私たちが生きるという事に於いて、大事な事を忘れない様にしなければなりません。そこで今朝は中村哲先生から学びたいと願っています。Dr中村は西南中、福岡高校、九大医学部と福岡で学び、卒業後は大牟田の病院で先ず働き始められました。西南中でキリスト教に出会って、香住ケ丘教会に行き、藤井健司牧師と出会って洗礼を受けました。Dr中村の長男さんは、健という名前で、藤井先生から一字を受けてのことだそうです。

 

 アフガニスタンで用水路を掘る工事現場の事務所には、本棚に内村鑑三の「後世への最大遺物」が置いてあったそうです。これはDr中村が受洗するきっかけにもなったものだそうで、「みんなのために、何冊か置いといたけど、読んだね?」との問いかけを、元スタッフの方は覚えているそうです。弱い人々を助けるためには「誰もが行きたがらぬところへ行け」という言葉は、この本の中の言葉だそうです。

 

 イエス・キリストが生れる時、その名をイエスと名付けるように母マリアは天使からお告げが在ったと聖書に書かれています。それは「インマヌエル」という名前で、「神は私たちと共に居られる」という意味です。Dr中村はこの言葉を「天、共に在り」という言葉にされています。Dr中村にとって、これは「天、即ち、神はこの世の弱く小さくされた者たちをも、大事にして下さる」という意味です。

 

 これはまたDr中村の祖父と祖母の教えの強い影響です。祖父が早く亡くなられたので、家業の石炭荷役業を、祖母の玉井マンが仕切っていました。マンは仕付けに厳しく、火鉢の傍に泰然と座り、キセルでタバコを吸っていた。そのマンの説教「率先して、弱い者をかばえ」、「どんな小さな命も尊べ」の様な言葉が、「自分の倫理観として根を張っている」とDr中村は言っていました。アフガニスタンの工事事務所の机に、書類や灰皿の横に、祖父玉井金五郎さんの写真が飾ってあったそうです。川筋気質、「弱い者をかばえ」が原点だそうです。

 

 俳優だった菅原文太さんは、Dr中村の事を、絶滅したニホンオオカミに譬えていたそうで、「日本に帰って来て、吠えてもらいたい」と文太さんが言うと、「いやあ、自分は吠えるんじゃなく、咬みつくんですよ」と笑って答えていたそうです。国会に2001年に呼ばれた時も「空爆はテロリズムと同じレベルの報復行為ではないか」と証言しました。Dr中村の大方針は、「現地と一体となり、苦楽を共にすること」だったそうです。

 

 のぞみの玄関に、アイヘンバーグの絵が掛けてあります。(これです。)梶原さんが作って下さったものですが、イエスが教会の炊き出しの外に並ぶホームレスの人々と共に居られる姿です。これもDr中村の大方針と同じことを語っていないでしょうか。

 

 イエスはガリラヤの田舎の貧しい人々の傍に行き、励まし、食事を共にされました。それに対して、ファリサイ派の人々が、何故、イエスは罪人たちと一緒に食事をするのかと弟子たちに尋ねました。イエスはこれを聞いて、「医者を必要とするのは、丈夫な人々ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためで在る。」と言われました。(マタイ9:12以下)

 

 貧しさ故に、神殿に参って献げ物をすることが出来ない人々、弱さ故に、律法を守る事が出来ない人々、この様な人々を、ファリサイ派の人も律法学者も神殿の祭司も、罪人と決め付けて、ユダヤ社会から、抹消しようとしました。「その人々の為に自分は来たのだ」とイエスは言われました。それ故に、イエスは神を冒涜する者だとして、イエス自身を十字架の上で抹消しました。

 

 60万人以上の人々が、帰って来て生活できる農地を作り出したDr中村も、その苦労した成果の故に、凶弾を浴びて亡くなりました。

いま、Dr中村は、イエス・キリストの最も近くに、十二弟子たちやパウロよりも近くに呼び寄せられて、イエスと談笑して居られるかも知れません

 

 

 それよりも、Dr中村は復活して、アフガンの砂漠や荒地で苦しんでいる人々に寄り添って、「しっかり、生きて行こう」と励まして居られる。そしてその傍に、イエス・キリストが寄り添って居て下さる、そんな場面をイメージしています。共に自分の命を懸けた働きの故に十字架に架けられ、凶弾を浴びました。「天、共に在り」と信じ貫いたDr中村 アーメン それを導かれたイエス・キリスト アーメン