「恨みの果てに」        永山辰原先生

                                2020年12月13日

マタイ5;21~26  招きの詞 ミカ書5:1

 

本日の箇所は山上の説教の一部です。この山上の説教は、いわばイエス様が私たちに示した具体的な訓戒、生きる上での教えです。しかし、このイエス様の訓戒は教会の歴史の中である意味に置き去りにされてきました。というのも、その内容があまりにも厳しく、高い理想であり、我々の手の届かないものと思われてきたからです。このような一見厳しすぎる山上の説教の教えを実生活で実践することは不可能なので、教会は山上の説教をあくまで礼拝に関わる事柄に限定させてきました。そして今、私たちもこの山上の説教を読む時に、どこか実生活とはかけ離れた理想主義、または完全主義の禁止事項として読む傾向があるのではないでしょうか。

 

しかし、このような山上の説教に対して取って来た教会と私たちの姿勢は全くの誤謬と言わなければなりません。なぜなら、イエス様はこの教えを具体的に実行に移すよう私たち全員に命じられておられるからです。イエス様が実際に命令している部分、これは24節以下になります。供え物を置きなさい、そして行きなさい、兄弟と仲直りしなさい、それから帰って来て供え物を献げなさい、あなたと訴える人と和解しなさい

 

私たちは怒り、互いに侮辱し合う存在であり、そのような悪循環の中で生きている。しかしその状態から解放されよ、といういわば、イエス様の招きとして解釈しなければなりません。イエス様が言った、「神の国はあなたがたの間にある」という言葉、そしてイエス様が指し示された神の国というものは、いずれ遠い将来に来るべきものではありません。今、もうすでに来てしまっている、私たちの間にすでにある。

 

イエス様はこう言います。もう神の国が来たのなら、私たちは善い存在である以外の道はない、悪循環から抜け出すしかない。ですから、私たちが怒る時、憎む時、相手に対して歩み寄ってみましょう、話し合ってみましょう、仲直りする努力をしてみましょう、自分の本当の思い、悲しみ、痛みをその人にわかってもらう努力をしましょう。充分に話し合いをし、和解を求めましょう。その実践の一歩を踏み出してみましょう。神様とイエス様の神の国に信頼して。

 

本日は第3アドベントです。そして、来週はクリスマスを迎えます。クリスマス、暗闇の中に光が来た。暗闇とは私たちの状態、悪循環のことです。イエス様は光としてその悪循環から私たちを解放してくださいます。私たちは是非、イエス様の指し示された神の国に思いを馳せつつ、アドベントとクリスマスを過ごして参りましょう。