なぜ、イエスはガリラヤへ行くのか」   

                                       2019年7月14日  

 

マルコ14:27~31  招きの詞マタイ4:12~17

 

 

 

 皆さま、お早うございます。昨日は午後から、連盟の理事2名が問安に来られました。いろいろ質問されましたが、のぞみの信仰告白には、聖書が神の言葉だと告白されていないとの質問もありました。聖書は神の言葉なのでしょうが、表面の文字を神の言葉と信じるのではなく、その言葉に触れて、或は聖霊の働きを受けて、生きておられるイエスに出会う事によって、この言葉が神の言葉になると私は信じています。逐語霊感説などいろいろあります。これから皆で考えるべき課題だと思います。本当に昨日は有り難うございました。

 

 

 

 松岡姉が先月15日に天に召されて、今日で丁度一か月になります。彼女は弱く小さくされた人々への温かい眼差しを持っておられました。歴史的な問題も、また高齢者の問題も関わって行かれました。その事を考える時に私が思い出しましたのは、少し関係ない様でもありますが、「一将功成りて 万骨枯る」という言葉です。一人の将軍が成功して有名になる陰には、万骨即ち多くの兵士たちの命が捨てられた、犠牲者はおびただしいのだという事でしょうか。松岡姉はこの万骨への悼み、或は万骨を生み出す権力に対して、赦せないと闘う気持ちをお持ちでした。

 

 

 

この言葉で直ぐに思い起こすのが、インドに攻めて行ったインパール作戦です。太平洋戦争、また第二次世界大戦全体もそうですが、牟田口廉也中将が考えて指揮を執ったものです。世界の戦史で最も愚劣だったとも言われています。地図で見ますとす~っとビルマからインパールまで行けそうなのです。実際には山脈が連なって、険しい山々を越えて越えて進まなければなりません。兵士は武器弾薬に食料も担がなければなりません。重装備で道なき山を越えて進むのです。所が、牟田口将軍自身は南の方の楽園みたいな島から作戦の指揮を執ります。現地の苦しさなど知ろうともしません。しかし戦況が思わしくないので、流石に現地で指揮を執らざるをえません。現地では昼間は安全な山の上の洞窟に居て、夕方になるとドラム缶風呂に入るために兵士に険しい谷底まで水を汲みに行かせ、兵士は危険を冒して、重い水を汲み上げて登って来るのに、平気で風呂に入ります。英軍インド軍に反攻され戦況が行き詰って、作戦中止になると、真っ先に自分は飛行機で逃げ帰ります。取り残された兵士は武器も食料もなく、死体が山の様に重なります。牟田口中将は帰国しても一切のお咎めなしです。

 

 

 

真珠湾攻撃の宣戦布告の書類がワシントンで遅れた事も、外務省では大使館に対して何のお咎めもありませんでした。帰国後は優遇されました。一将功成りて万骨枯るの状況で、万骨の事は意にも介されません。松岡姉が深く心を悼めて居られた事には、関釜裁判を始めとする従軍慰安婦の問題が在りました。彼女はこれにも我慢がならなったし、軍隊や工場や炭鉱に駆り出されてこき使われた人々の事も同じだったでしょう。犠牲者は捨てて顧みられませんでした。元々松岡姉がその様な感性を持っていたとも考えられますが、筑豊の福吉で犬養先生から鍛えられたのだと思います。弱者で切り捨てられた人々への思いを松岡姉に倣って、大事にしたいと思います。直ぐに同じ事は出来ませんが、それは、実は松岡姉に始まった事では無くて、イエス・キリストに於いて始まっていると思います。

 

 

 

先程読んで頂いた様に、イエスはガリラヤに行き、カファルナウムに住みます。そこから始まって、暗く辺境の地に住む人々には大きな光となります。なぜ、ガリラヤなのでしょうか。エルサレムにもたくさんの問題が在ったはずです。神様の問題としては神殿が在るエルサレムが問題の中心として捉え易いと思われます。でもイエスはガリラヤへ行きます。そこから宣教を始めました。ガリラヤの歴史はこれまでも何度もお話して来ました。北の方にバビロニア、アッシリアとかペルシャなどの強国が在り、何度も占領されています。逆に言いますと、攻め取るには都合が良い所なのです。豊かな土地でした。ですからガリラヤ人は頑固で反抗心が強く、自分たちはいつも田舎者扱いされるのでエルサレムの神殿や律法学者に対する反発の気持ちも強かったでしょう。また、あまり細かい事に拘らない性格も在ったようです。ヘブライ語のガリラヤ方言をアラム語と言いますが、強い訛りが在ったと言われます。ですからちょっと喋ると身元がばれるわけでしょう。ペトロが大祭司の中庭で女中から直ぐ見破られたのもその為です。イエスもアラム語を使っていたと言われます。

 

 

 

ガリラヤは豊かな土地で荒地が殆ど無く、耕されていたそうです。大体40キロ四方の土地ですから、健脚な人なら一日で横断できたようです。そこに大きな差別、格差が起こっていたのです。領主ヘロデはしたい放題だったでしょう。差別される側の人々が極貧の人々プトーコイです。英語訳聖書でNew English Bible は罪人の事を outcast 放り出された人々、或は見捨てられた人と訳しています。この人々、つまり神殿宗教者たちが差別した人々を「罪人」と呼んでいたのです。律法に従わない連中という事で差別した表現なのです。罪人というのは。ユダヤ人にとって本来、ヤハウエ―に従う神に選ばれた民だと自負しているヘブライ人にとって、罪人と呼ばれる事は大きな事、日本で言う被差別部落に対する表現と同じなのです。それ以上かもしれません。ガリラヤ訛りの貧しい人々、差別されて貧困の中に取り残された人々を、神殿宗教者たちは「罪人」呼ばわりしているのです。神の愛を説き、神の言葉を伝えるはずの神殿宗教者や律法学者たちが、その様な差別を生み出し、罪人呼ばわりした状況に対して、イエスは黙って通り過ぎる事が出来なかったと思います。

 

 

 

そこの根本問題と闘ったのがイエスだと思います。ユダヤ人の指導者たち、ローマの支配者たち、つまり格差を生み出す権力と闘ったのがイエスでした。なぜ、ガリラヤに出かけたのか。そこに私は、父なる神の存在を思います。神の名で、人々から旨い部分だけをかすめ取って、自分たちは悠々とした生活をしている事に対して、そこで利用され語られる神ご自身は黙ってそれを見逃すわけにはいきません。父なる神は「これは放っておけない」と思われて、イエスに「お前、あの地に出かけて、闘ってくれ」と言われたのではないかとも想像します。その父なる神のみ心を受けて、イエスはガリラヤに行かれたのではないでしょうか。ガリラヤの状況を、神の正義は放置する事はできない、神の愛は其処を通り過ぎる事はできない、その神のみ心を受けて、イエスはガリラヤに向かわれたのではないでしょうか。イエス自身の愛の眼差しも在るでしょう。しかし、其処には神のみ心がはっきりと在って、「私はこの状況を見過ごすわけにはいかない。私の心を受けて闘って来てくれ」という父なる神のみ心がイエスを動かしたのではないでしょうか。神の名を使って貧しい人々を「罪人」呼ばわりする連中に、「それは許されないのだ。私に変わって闘って来てくれ」との父なる神のみ心が在ったのです。その父のみ心を、イエスがガリラヤへ行かれた出来事から、今朝は受けています。神殿宗教者たちと闘う事を避けられなかった、神ご自身の決意が在ったと受けています。松岡姉はこの父と子と、そのみ心を結んで下さる聖霊のお働きによる闘いを深く学ばれ、弱く小さくされた人々のために闘われたこと事に感謝致します。アーメン