「天に富を積むことは」―中村哲先生に学ぶー  

                                  2020年11月29日

ルカ18:18~23  招きの詞 マタイ23:23~24

 

 皆さま、お早うございます。速いもので、もうクリスマスを迎えるアドベント第1週で、ローソク一本に火が灯りました。4週目にはクリスマスです。それにしても世の中、中々落ち着きませんね。連日コロナ感染者が過去最高が続いています。(具体的な数字の部分は省略します。)いま、私はマスクを外していますが、マスク、手洗い、長時間話し合うなど、気をつけなければなりません。教会も気をつけなければなりません。「私は神様を信じているので、感染しない」などという事は、全く在りません。気が緩む事は用心です。私たちが何気なく毎日過ごしていますが、家庭内感染も増えています。私自身、不用心だと思います。これまでの、私たちが慣れてしまった生活、文化を見直して、何が大事なのか、少し考えて生きるスタイルを変える必要が在りそうです。温暖化に依る干ばつを考えても、もう遅いくらいかもしれませんが、日常的には意識していません。今朝の話に「中村哲先生に学ぶ」というサブタイトルを付けましたが、もうすぐ12月4日の命日を迎えます。中村先生の事を詳しく語るのではなく、何を教えられるのか、その事を実行する様に進んで行きたいと願っています。

 

 中村先生が実行された、大きな事業に目が行きますが、最初は本当に小さな事から始められたと思います。ペシャワールに行かれて、或は、アフガニスタンに行って、そこの大きな病気に対して、ハンセン病でしたか、裸足で歩き回るので、感染する。その病気を治すこともですが、予防する事も考えて、古タイヤを利用して、診療所で履き物を作り始められました。普通は、日本などたくさん在る所から運び込んで、それを配ります。しかし、中村先生は、手作りで、自分たちで作って、守ろうという考えです。そこが、それまでの善意ある奉仕団体がして来た事と大きく違う点です。「自分で作ろう」という発想です。これが中村先生の最も基本的な所に在ると思います。自分でサンダルを作って、自分の身を守ろうと動かれました。病気で苦しむ人たちのために、今、自分に何が出来るかを考えられた。それを実行したのです。他の人々を当てにされなかった。それがサンダルを診療所で作る事でした。それが、水の問題になって、井戸を掘り、それでは間に合わないので用水路を掘る事に決断された。アフガニスタン全体が大干ばつの影響を受けて、人々は、食べるものにも事欠く状況に在りました。水さえあれば・・・、病気も減り、死ぬ子供たちも減る、なんとしても水、ここに突き当たったのです。その大干ばつに、自分の手で立ち向かう、サンダルを手作りするのと同じです。ハンドメイド、手作りです。その気持ちがとても強かったと思います。何処からか持って来て、助けるのでは在りません。この手作りが、欧米の援助団体と大きく違うポイントです。この事を本田神父流に言えば、「主イエスの信頼して、めげずに立ちつづけて、低みに立ってあゆみを起こす」という事でしょう。日常の背カツの中で取り組もう、という事です。

 

 生きている限り、何も出来ない事はない!気がします。命が在る限り、病人で在っても、何も出来ない事は在りません。例えば、助けて頂く事が出来ます。何も出来ない様で、助けて貰う事は出来るのです。助けて頂いたら、感謝する事が出来ますね。「有り難うございます」という事です。感謝する事が出来たら、他の助けが必要な人のために祈る事が出来ます。祈る事が出来たら、今、自分に何が出来るかを考える事が出来ます。カンナが得る事が出来たら、どんなに小さい事でも、実行する決断が出来ます。それで、今朝は皆さんに一つご提案をしたいのです。私たちひとり一人の力は弱くて小さいです。今朝、この礼拝に十人以上の方が居られます。10人として、これを合わせれば、10倍になります。そこで具体的な提案なのですが、先ず、お一人お一人が「1週間に100円、困っている人のために献げる事を実行してみませんか。これは教会の献金とは別です。何か、箱を用意します。一人100円なら、10人で、1,000円です。一か月4週間で、4,000円です。これが5か月経つと2万円です。例えば、のぞみ教会は久山療育園などにクリスマス献金を2万円しています。すでに決めた所にするだけではなくて、急に災害など必要が生じますので、臨機応変に対応できるのではないでしょうか。2万円溜まったら、どこに献げ様かと、皆で話し合う事が出来ます。場合によっては、それを貯めておいても良いでしょう。土一緒に来週からでも実行したいです。中村哲先生は、「議論はいらん。実行だ。」とよく言われたようです。実行、プラクティスです。たとえ100円でも実行しましょう。この事を先生から学ぶ、と言いましょうか、実行する事へと導かれれます。

 

 今朝は、ルカの金持ちの話を引用しました。天の国に行くにはどうしたら良いかの話です。それなら、貧しい人に施して天に富を貯えなさいというイエスの言葉です。のぞみ教会の方に、誰も議員さんは居ませんね。議員と呼ばれる人は誰も居ません。非常な金持ちの方、ひょっとしたら居られるのかもしれませんが、居られたら、すみませんが、金持ちも居ません。また、持ち物すべてを売り払う事も出来ません。イエスはそうするように言われましたが、出来ませんね。では、何も出来ないのか、何もしないのか、です。ルカ18章27節には、「イエスは、『人間にはできないことも、神には出来る』と言われた」と在ります。私たちは父なる神を信じ、主なる神の子イエス・キリストを信じています。そのような群れなのです。神は出来る、しかし、私たちは人間だから、何も出来ないので、何もしなくて良いのか、です。本田神父流にローマ書15章の言葉、「めげずに立ちつづける力と励ましを与えてくださる神が、あなたたちにイエス・キリストと同じ感性を共有して下さいますように」と、パウロの祈りの言葉のようになっています。パウロが祈ってくれているとこの前申しましたが、当にその通りだと思います。「イエス・キリストと同じ感性を共有できますように」です。そして第一コリント13章、いわゆる、愛を賞賛する箇所ですが、永続するものについて書いています。「永続するもの、それは『信頼してあゆみを起こす』こと(信仰)、『確かさに心を向ける』こと(希望)、『人を大切にする』こと(愛)の三つです。このうちもっとも偉大なものは、『人を大切にする』ということです」と本田神父が訳しています。私たちは誰も議員でもなく、非常な金持ちでもなく、すべてを売り払って捧げることもできない私たちですが、何でも出来る神を信じる私たちが、何もしなくて良いのか、心を向ける事さえ、しないのか、なのです。私たちの手で、何かをしようではありませんか。そういう今の時だと思います。私たちの手で、何かをして行こうではありませんか。作る事が出来なければ、何かを献げることでも良いですし、何かを実行して行こうではありませんか。祈る事でも良いです。自分の手で、イエスに従って行く、このことを今朝は、皆さんの話をさせて頂きました。

 

 

 中村哲先生から私が学ぶもっとも大きな事は、自分の手でする、手作りというその基本姿勢です。私は弱く小さいから何も出来ないではなくて、何か自分の手で出来る事が在るだろう、石ころをどかすことが出来るじゃないか。欲しい物を一つ我慢できるじゃないか。そして、この事が、天に宝を積むことだとイエスは言っているのです。そのことによって人を大切にすることが出来る、イエス・キリストに導かれる事を心から願います。