からし種一粒ほどの」  2019年5月19日

 

ルカ13:18~21 招きの詞マタイ6:25~26

 

 

 

 皆さま、お早うございます。今日は天気が持つようですね。昨日、帰りがけに西の方に夕焼けが在ったので、大丈夫だなと思ったのですが、その後、東の空に真ん丸の月が見えたので「満月だ。これは縁起が良いな」と思って、調べましたら、何と今夜が満月です。教会組織会議の当日が満月なのです。嬉しい事だなと、思いました。

 

 

 

今日、伝道所から教会に変わるという事ですが、本質的には何も変わらないと思います。主イエスを讃美し主イエスからの励ましと力によって、私たちが生きていく事は変わりません。じゃ、今までのままで良いじゃないかとも思いますが、教会になる事は母教会から離れる事です。福岡城西教会に長く母親役をお願いして来ましたが、そこから離れて自立するわけです。のぞみは実質、これまでも自立して来ましたが、バプテスト連盟の中での立場が変わる事です。連盟の構成単位は教会です。それが集まって連盟を構成しています。上下関係は在りません。しかし伝道所は発言権や議決権が在りません。連盟の総会で、加盟が認められれば、構成員の一つになります。これからの連盟の歩みに私たちも関わる事になります。

 

 

 

 1999年4月から無牧師になって、丁度20年です。福岡城西教会にはその4年前から母教会をお願いして来ました。多くの方々のお力添えが在って、歩んで来れました。本当に数年前までは、寂しいなあと思う事が在りました。礼拝が7~8名で、少ない時は4人でした。これからどうなるのだろうかと思う事がありましたが、少しずつ主イエスが人を送って下さり、また既に天に召された方々のお力添えも大きかったと感謝しています。今までの事に感謝も尽きませんが、これからも皆様方に宜しくお願いします。

 

 

 

私たちは小さいのですが、イエスは小さい事を大事にされたと思います。その話の一つが、「カラシ種一粒程の」です。神の国を譬えて話されたのが、カラシ種一粒の話です。その前に、「からし種一粒程の信仰があれば」の話もされました。マタイとルカに在ります。マタイでは「山に向かって」ですが、ルカでは桑の木に「海に根を下ろせ」と、山と海の違いがあります。二人の資料が違うのですが、とにかく、一粒程の信仰が在れば、何でも出来ると言われたのです。私がそんな事を言っても、何もビクともしません。からし種一粒ほどの信仰も無い、と言わざるを得ません。私たちには「信仰が無い」事をはっきり言われたのかもしれません。じゃ、何が在るのか。この伝道所に何が在るのかと言っても、何も在りません。

 

 

 

先週もお話しました様に、イエスが十二人の弟子たちを伝道に派遣した時に、何も持って行くなと言われました。その訳は先週お話しましたが、私たちも手ぶらで出発する様なものです。多くの教会の方々が、それで大丈夫なのかと心配して下さるでしょうが、イエスは「大丈夫!」と言っていて下さると思います。パンもお金も袋も何も持って行くな、行った所で与えられると言われました。

 

 

 

もう一つ、からし種一粒ほどの話をされました。それが神の国の例えの話です。私たちが想像する神の国は、天地宇宙を包む様な果てしなく広いと思いがちです。それをからし種一粒程だと言われると、「在るのか無いのか分からない」様な話に聞こえます。無いようにも見えますが、どんなに小さくても「在る」と言われたのです。見えない程だけど「在る」のです。何が在るのかと言えば、「もの」が在るのではなくて、「命」が在るのです。からし種一粒には「命」が在るのです。問題は「命」が在るかどうかなのです。神の国は、神の命が芽を出して私たちを支えて下さる世界なのです。「神からの命」、これは見えない程に小さいかもしれないけれど、「在る」とイエスは言われたのです。

 

 

 

私たちのこの小さな群れに、「からし種一粒ほどの神の命が宿って下されば、空の鳥も宿るようになる」と約束して下さっているのです。「神の命が恵みとして、頂けるかどうか」が問題で、私たちの信仰の問題ではないのです。神の恵み、イエス・キリストの恵み、それがどんなに小さくても、命の恵みで在る限り、神の国からの恵みで在る限り、成長して生きていく事をイエスは語られたのだと信じます。神の命がここに宿れば、ちゃんと成長する、これがイエスに依る「新しい約束」ではないかと思います。新約聖書の「新しい約束」という事です。その「新しい約束」とは、「神の国の命が在る限り、育って成長して、貴方たちを支える力に必ずなる。私がその力に自分から生るのだ」という事を私たちに約束して下さっていると思います。

 

 

 

私たちは何も無い、信仰も無い、だからこそ、神からの命を祈り求める者として、これから共に支え合い、仕え合って、共に祈って参りたい。「神の国の命を、どうぞお恵み下さい」と、「この小さな群れに、あなたの命を宿して下さい」と、共に祈りながら歩みたい。何も計算できません。ただ、祈り求める事が、その事が、この群れの中で「出来事」として起これば、ここにイエスが「神の国の命」を与えて下さいます。恵みとして、備えて下さると信じます。主イエス・キリストのお導きを心からお願いする者です。主イエス、お導き下さい。アーメン