「あなたがたは、私たしたちの栄光、喜び」         

 

2019年9月1日 、 

 

第一テサロニケ2:7~20 招きの詞使徒言行録16:6~12

 

 

 

 皆さま、お早うございます。大雨の被害が出ていますが、大町町では油が工場から流出して、農作物に甚大な被害を出していますが、実は大町町では29年前にも大雨と油の流出被害が在ったそうです。田んぼが元に戻るには20年は掛かるそうです。自然災害の大きさもですが、人間の責任もやはり大きいです。政府や地方行政がどの様に担ってくれるのか大きな問題です。こののぞみも近所にご迷惑を掛ける事は何も無い様ですが、気を付けるべき事は在ると思います。東日本大震災の事を、先日金丸先生とお話をしましたが、大きな堤防や土地のかさ上げなど進んでいるけど、人が戻ってくるのが少ないし、仮設住宅を追い出された様な人達は、どこか隅っこに行って心を閉ざしてしまいがちだそうです。その様な方々に手を差し伸べるのは中々難しいと語っておられました。

 

 

 

 この頃はパウロからも学ばなければならないと、前回から更にしっかり学びたいと願っています。パウロはダマスコに迫害に行く途中でイエスに出会って、180度変わりました。キリストの福音を宣べ伝える側に立ちます。「どうして私を迫害するのか?」とイエスに問われたわけです。パウロは回心しますが、もう一つ「改心」も在ります。聖書の訳も両方あります。私たちはパウロが変わったと思っていますが、パウロの何が変わったのでしょうか。皆さま方は如何お考えですか。パウロが改心したのは、幾つの時だったと思われますか。この頃迄知りませんでした。パウロの誕生ははっきりしませんが、紀元8年頃とする見方が在ります。イエスは紀元前3~4年頃生まれたされていますので、およそ10才ほどイエスより若い事になります。ダマスコへキリスト者たちを迫害に行ったのが紀元34年から35年とされていて。パウロが22,3才の頃です。非常に若いです。そのパウロがどの様に変わったのでしょうか。

 

 

 

 ローマ書の冒頭で、自分を「イエス・キリストの僕」と呼んでいます。僕は奴隷の意味です。これは皆さまご存知ですね。自分はイエス・キリストの奴隷だと言いますが、ローマ書は彼が書いた手紙では後年のものです。初めに書いたテサロニケやコリント書にはそんな言葉は在りません。ただキリストの使徒だと言います。奴隷という様な徹底した言葉はまだ使っていません。奴隷は主人の命令に絶対服従です。改心前のパウロは、神殿の神、律法の神の忠実な僕としてキリスト者を熱心に迫害していました。神殿の神の代理として、縛りあげたり殺したりしていたのです。それは忠実な僕、奴隷の姿です。その様に見ますとパウロは、自分が主と仰ぐ対象が決まれば、その主にドンドン傾いて忠実に生きる人の様に思えます。その意味では改心前と後でパウロの気質は変わっていない様に思えますが、皆様如何でしょうか。主人は変わりました。ヤハウエ―の神から神の子イエス・キリストと言われた主です。両者とも「神」です。やはりパウロは「神」に対して忠実な人です。非情な迫害者でしたし、すごい苦難の中、伝道旅行を3回もしています。

 

 

 

 テサロニケに行く時にフィリピに寄ります。そこにはホンの数日滞在しただけです。パウロは大都会好みです。イエスは田舎を回りました。最初の伝道旅行の出発地のアンティオキアも大きな町でした。ダマスコもそうです。テサロニケは当時、マケドニア州第一の都市です。そこに腰を落ち着けて伝道しようとしたのですが、そこに旧約の神を信じるユダヤ人たちが居て、キリスト者たちを迫害していました。迫害という事では、彼はプロ級の人です。今度は自分が迫害される側になって、上手く処理できなくて遂に彼は逃げ出しました。海路か陸路でアテネに行き、そこからコリントに行き、長く滞在する事になりました。そこでテサロニケの信徒への第一の手紙を書いたと言われています。迫害していた自分が迫害される様になって、どうしたものかと悩んだと思います。テサロニケから逃げだしたのですから。テサロニケの人々に迷惑を掛けないで自分たちで生活した事などいろいろ書かれていますが、自分たちは逃げ出したのですから、残った人々の事はとても気になっていたでしょう。申し訳ない気持ちと心配が非常に強かったと思います。何とかまた戻りたい気持ちも在りました。

 

 

 

 戻りたかったけど「サタンによって妨げられた」(2:18)と在りますが、これは歴史的に見ますと、皇帝アウグストゥスが「ユダヤ人追放令」を出したので、ユダヤ人が動きにくくなった事を指していると考えられています。それだけにテサロニケに残った信徒の人達、ユダヤ人もですが、ヨーロッパの人達が本当に信仰を守ってくれるだろうかと強く心配していたでしょう。迫害の実際をパウロは知っていますからなおさらだったでしょう。そこに、テサロニケの信徒たちの様子をテモテがコリントに帰って来て伝えてくれます。(3:6)テサロニケの信徒たちは信仰を守っていると分ったのです。その事を聞いて、心底心配していたパウロは「感動した」と想像します。私がパウロの感動をどれくらい感じられるか、分かりませんが、それを私も感じたのです。パウロが如何に感動したか。

 

 

 

 そんな中で、「私たちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、私たちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。」(2:19~20)また凄い迫害を耐えて、信仰を守っているテサロニケの信徒たちに如何に深くパウロが感動したでしょうか。この意味でパウロは「心の人」だと思えて来ました。忠実な僕という言葉も在りますが、「思いの深い人」だと思います。このパウロの感動を皆様方にお伝えしたいし、私自身も感動しています。パウロは何が変わったか、自分が誇りとする事、喜びとする事、冠とする事、これが変わったのです。神に仕える事が喜び、誇りだったのでしょうが、信仰を守っている「自分の仲間が喜びであり誇り」になったのです。神を仰いでいたパウロですが、この時パウロは自分の仲間、人を喜ぶ、その様に視線が変わったのだと思います。人の事が見えて来たのです。同時に、この事から、私自身もここで聖書とか福音を語っているつもりなのですが、礼拝に来て下さる皆さま方が信仰を持っていて下さる事、これが私たち、聖書を語る者、福音を語る者の希望であり喜びであり、誇りなのだと気付かされました。この目の前の事を見失っていたと気付かされました。パウロの感動を受けたいと願います。迫害者パウロをひっくり返し、信仰の仲間こそ希望、喜びだと感じるパウロへと変えて下さったイエス・キリスト 感謝 アーメン