「苦難に満ちた人生」        2018年7月8日

 

  マルコ7:24~30    招きの詞マタイ9:35~38

 

 

 

 皆さま、お早うございます。この1週間が本当に大変でしたね。台風が来たかと思うと、異常な大雨で、西日本各地に甚大な被害が出ています。昨年の九州北部豪雨被害から丁度1年目になるので、話の題を「苦難に満ちた人生」としたのですが、先週の状況を写す様な題になりました。1000ミリを超す雨、1000ミリは1mですから、ここだけで1mは下流の方は何倍にもなるのですから、被災者の方々や亡くなられた方々を思うと、いつも祈らなければならないと思います。西村兄が申された様に、神が沈黙される中で、イエスが人々の苦しみの中を歩まれて、心痛む気持ちになられ、十字架迄歩まれた。この出来事をもう少し見てみたいと思います。イエスはガリラヤからティルスへ行かれたとありますが、聖書の巻末地図6を見ると、北の方にフェニキアがありその中にシドン、ティルスが在ります。ティルスは昔ツロと訳されていました。ガリラヤが異邦人の地ならばシリア・フェニキアもやはり異邦人の地で、現在も紛争が絶えません。そんな所にイエスは出かけたのです。

 

 そこに1人の女性が居て、娘が病だというのです。女性は今で言うシングルマザーでしょうか。ユダヤ教の中では、主人が亡くなった場合は女性は生きることができますが、父親が世間的には誰か分からない場合は、女性は姦淫の罪で生きることは出来なかった。でも此処シリア・フェニキアは異邦人の地ユダヤ教の外の世界ですから、或はシングルマザーが居たのかもしれません。シリアは今も残っていますが、フェニキアはギリシアと共に紀元前12世紀から9世紀にかけて地中海世界で栄えました。ギリシア人も同時に地中海に君臨していました。(週報裏の地図をご覧下さい。)(中略)フェニキアはイエスの時代には小さくなっていますが、ギリシア人の影響もあり、自由な考え方をしていたと思います。いろんなものが混じって、信仰もユダヤ教からみればやはり異邦人の地です。フェニキアと言いますとアルファベットA,B,Cの元になったフェニキア文字が在りました。

 

その前のイエスのことをちょっと見てみましょう。マタイで見ますと、イエスは群衆の「飼い主のいない羊の様に弱り果て、打ちひしがれている」姿に、「深く憐れまれた」(9:36)。この深く憐れむについては内臓が痛む事を申し、沖縄のチムグリサという言葉も紹介しました。肝が苦しむと書きますが、肝は実際には無い内臓で、肝臓ではありません。胃と心臓の間に小さなモノが在ると昔は想像されていました。心臓内臓に近く、決して「可哀そう」という意味ではなく、沖縄にはその意味の言葉は無いそうです。このチムグリサは人の痛みを自分の痛みとして共に担うという意味だそうです。これは灰谷健次郎氏の「太陽の子」(沖縄戦の事を書いた児童文学)に書かれているそうです。沖縄の人々のチムグリサ、人の痛みを自分の痛みとして担う、これがイエスの「深く憐れむの元々の意味」だと思います。私はこれを「胸がギューッと痛む」という言葉にしたいと思います。とにかくイエスはガリラヤでの活動に1人では手に負えないと思われたのか、十二人の弟子たちを選んで派遣されました。そしてご自分はガリラヤ以外の地に出かけられた。辺境の地ガリラヤに住んでおられましたが、同じように今は混乱しているフェニキアに行かれました。そこでもイエスの評判は伝わっていたのでしょう。

 

一人の女性が「娘から悪霊を追い出してくれ」と頼みに来ます。するとイエスは「自分はユダヤの地に遣わされたのだから」(まず子供たちに十分食べさせなければならない)と言われます。女性は「小犬も食卓から落ちたパン屑は頂きます」と言いますので、イエスはそれ程に言うならと、娘を癒します。そんな事ならなぜ、シリア・フェニキアまでも出かけたのでしょうか。イエスは一体、何を大事にしたのかと考えざるを得ません。マルコに依れば、復活したイエスは決して天に昇られたわけではなく、(16章8節までをマルコ福音書と考えて)復活したイエスはガリラヤへ行かれたよと、訪ねてきたマリアたちに若者が言います。そしてマルコの最初にはイエスがガリラヤに出て来ます。ですからマルコにはイエスの降誕物語は在りません。エルサレムではなく異邦人のガリラヤに来ました。そして村々町々を訪ねて、人々を見て胸を痛めて、弟子たちを送り出して、自分は別の異邦人の町を訪ねて行く。そして十字架へと追いつめられ、十字架上で殺され、三日目に復活して、またガリラヤへ行く。これを繰り返す形になっています。イエスには天に昇るという逃げ口が在りません。常に苦しむ人々と共に居るという事を貫いて居る。このマルコ福音書の斬新さというか、マルコは何を伝えようとしているか、これがマルコに私が惹かれている所以です。

 

イエスはガリラヤの村々町々を訪ねて貧しくされた人々に出会い、胸がギュ~ン(肝苦しさチムグリサ)となられ、弟子たちもあまり頼りにならない中で、人々の重荷を自分も共に担い、十字架まで歩まれました。神の沈黙の中でイエスが父なる神の代わりに、語り、人々の苦しみを聞き、その願いに応え、まさしく神の子として働かれた。父が沈黙されるなら、私が語ろう、そして最後に十自家の上で「我が神よ、どうして私をお見捨てになったのか」という、多くの人々の無念の痛みの言葉を叫んで亡くなられた、これがマルコが真に伝えたい出来事だと思います。それまでの、子が栄光に包まれて天に昇られるという形ではないイエスの姿を私たちに伝えています。ガリラヤを、現代の私たちに置き換えますと、明治維新前からの、犠牲をず~っと担わされてきた東北、沖縄、或は世界的に言えば、シリアは現在もですし、アフリカ、東南アジア、中南米でもあります。

 

イエスがなされた事から、私たちは遠くの、近くの差別され犠牲を強いられている人々や地域に、心を向け、目を向ける。これは「「心を尽くし、力を尽くし思いを尽くして」神を愛する事、同時に「心を尽くし、力を尽くし思いを尽くして」自分の隣り人を愛する事、この事は先週も話しました。自分が破られていく事です。とにかく、主イエスに拠ってその様な事へと心を尽くして目を向ける。心を向ける事へと励まされていると信じます。私たちがイエスと共に居るという事は、私たちがイエスに招かれている、私たちの心や目が何処を向くのか。東北、沖縄、益々多くなる過疎地、或は貧富の格差がひどくなり、どうしようもない谷間に落ちている若者や高齢者、日本で、世界で、アメリカだったら高校でも銃の乱射、日本では所構わない刺殺事件、政治は私物化されて終い、どうしようもない状況です。私たちはこれをただ批判するだけではなくて、弱く貧しく小さくされている人々に心を開き目を開いて、祈りを送る、どんなに小さくても何か具体的に動くようにと、イエスから「さあ~!、さあ~!」と促されています。

 

私たちに先だってフェニキアへ、ガリラヤへ足を運んで下さり、私たちを招き励まし促して下さる 私たちの主イエス・キリスト アーメン

 

            フェニキア文字

             

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フェニキア人とギリシア人の植民移動地図