『究極の災い』            安里直道神学生 

 

2019年8月25日

 

 出エジプト122130節   招きの詞 ヨハネ8:12

 

 

 

 今日は、74年前の戦争、特に沖縄戦に照らし合わせて、聖書に向き合う。

 

 

 

 今日の聖書箇所は、最後の災いと呼ばれるところ。エジプトで奴隷とされているイスラエルの民を救うため、主がエジプトに10個の災いを下すが、その最後の災いの場面。その災いとは、全ての初子の死。身分を問わず、全ての家庭で、人間も家畜も、初めて生まれた子どもが死んだ。「死人が出なかった家は一軒も」無かった。

 

 

 

<戦争に重なる聖書>

 

 この聖書の記述で私が思い浮かべるのは、太平洋戦争のこと。戦時中、17歳以上の健康な成人男性は、兵隊に徴集されていた。沖縄では、男性だけではなく、女性や、中学生まで、日本軍によって徴用されている。

 

まさに、それぞれの家庭の長子から、戦争にかり出されていった。そして、先に徴兵されたお兄さん、お姉さんから、戦場に送られ、死んでいった。エジプトと同じように沖縄では、死人が出なかった家は一軒も無かったと言っても過言じゃない。

 

 

 

全ての初子の死。それはほんの74年前の沖縄で、日本で起きました。そして同じことが、世界中で、人の手によって繰り返されてきました。聖書の物語は、単なる過去の言い伝えではなく、今生きる私たちに、現実味を持って語られていること。

 

そして、今日の聖書箇所、最後の災いだけが、私たちに関係があるのではない。順番は前後するが、エジプトに下された10の災い全てが、戦争に、特に史上最悪と言われる沖縄戦に重なる。

 

 

 

  血の災い

 

聖書の順番で10の災いを見ていく。第一の災いは、川の水が血に変わるというもの。7章21節には、「こうして、エジプトの国中が血に浸った」とある。

 

沖縄は川が少ないので海で例えるが、戦争のとき、海が血で赤く染まったと、多くの人が語っている。ある人は、地面に溜まった人の血を飲んで生き延びたと、証言している。

 

 あの時沖縄は、国中が血に浸ったエジプトのように、島中が血に浸った。

 

  蛙の災い

 

 第二の災いは、カエルの災い。カエルが溢れかえり、家の中や、かまどの中にまで入り込むというもの。そして、エジプトにカエルが溢れたその後が、まさに沖縄戦に重なる。

 

 8章9節、10節にはこうある。「主はモーセの願いどおりにされ、蛙は家からも畑からも死に絶えた。人々はその死骸を幾山にも積み上げたので、国中に悪臭が満ちた。」

 

74年前、沖縄は、死体で溢れた。そして腐った死体で、島中が悪臭に包まれた。ある人は証言しています。「沖縄戦の時、あまりの悪臭から逃れようと、月桃の葉っぱ(香りが強い)を鼻に詰めたが、全く効果が無かった」と。

 

  ④ブヨとアブの災い

 

 第三の災いと第四の災いは、ブヨとアブの災い。ブヨもアブもエジプト中に広がり、人や家畜を襲った。

 

 この災いは、沖縄戦では、ハエに重なる。あの時、あらゆるところにウジが湧いた。死体だけでなく、生きてる人の傷口にもウジが湧いた。息を潜めて隠れている防空壕の中では、ウジ虫が肉を食べる音だけが聞こえていた。

 

  ⑥疫病とはれ物の災い

 

 第五の災いは、疫病。家畜に疫病が臨み、エジプト人の家畜が全て死んだ。そして第六の災いは、腫れ物の災い。膿の出る腫れ物が、家畜と人に発生した。これらの災いも、病気という点で、沖縄戦に重なる。

 

 実はあまり知られていないが、戦時中、沖縄では、疫病によって多くの人の命が奪われている。その主な病気は、マラリア。

 

 住んでいた場所を日本軍に追い出され、無理やりマラリアのいる地域に移住させられた八重山諸島の住民は、多くがマラリアにかかり、亡くなる人もいた。

 

⑦雹の災い

 

 第七の災いは、雹の災い。9章25節には、「雹は、エジプト全土で野にいるすべてのもの、人も家畜も残らず打った。」とある。

 

 これは、海を埋め尽くすほどの艦船からの砲撃、あるいは戦闘機による爆撃に重なる。「鉄の雨」と言われるほど、おびただしい数の砲弾、爆弾が沖縄に打ち込まれました。工場や軍事基地だけでなく、民家も人も動物も、畑の作物も、地上のあらゆるものが破壊された。

 

⑧いなごの災い

 

 第八の災いは、いなごの災いです。1015節にはこうある。「いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。」

 

 雹の害を免れた草木を食い尽くすいなご、それはまさに、沖縄に上陸し、草木を焼き払い、住民から食べ物を奪っていった兵隊です。

 

 アメリカ軍は島に上陸し、火炎放射で、隠れている人を草木もろとも焼き払っていきました。また日本兵は、沖縄の住民から食べ物を奪っていきました。日本兵は、稲を隠し持っていた住民を処刑したり、スパイ容疑の名目で住民を殺し、食べ物を奪ったりしました。

 

 もちろん、全ての兵がそうだったわけではなく、どちらの軍隊にも、沖縄の住民に食べ物をくれた兵隊はいた。しかし、兵隊によって草木が焼き払われ、作物が食い尽くされたことは事実。沖縄の食糧不足は深刻で、戦争が終わっても、多くの人が、特に小さな子どもたちが、栄養失調で死んでいった。

 

⑨暗闇の災い

 

 第九の災いは、暗闇の災い。三日間、エジプト全土に暗闇が臨み、人々は、互いに見ることも、その場所から立ち上がることもできなかったとある。それは、手に感じるほどの暗闇。

 

 沖縄本島には無数の自然の洞窟(ガマ)があり、沖縄戦の時には、住民も日本軍もその中に隠れていた。光が届くガマの入口付近は、日本兵が優先的に陣取っていたので、住民はガマの奥にいた。ガマの奥は全く光が届かず、まさに手で感じるほどの暗闇。何日も何十日も、昼も夜も分からない真っ暗闇の中で、気が狂う人も出た。せめてもう1度だけ、太陽を拝みたい。それが、ガマで亡くなっていった人々の望。

 

 そしてついに、十個目の災い、今日の聖書箇所につながる。

 

 

 

<私たちと災い>

 

 このように見ると、10の災いの全てを満たしている戦争とは、どれほどの災いでしょうか。まさに、戦争は究極の災いと言える。

 

 では、現在戦争をしていない日本の私たちは、あの10の災いとは、無関係でしょうか。私はそうは思えない。なぜなら、今の日本が、災いをくだされる直前のエジプトと、同じ状況に見えるから。

 

 

 

 当時エジプトでは、イスラエル人が奴隷とされ、重い労働をさせられていた。労働者の苦しみを訴えると、さらに仕事が増やされた。国は、奴隷をこき使うことで繁栄していった。そして、このような構造を成り立たせていたのが、軍事力。

 

 日本はどうか。国は景気が良くなっていると言うが、貧富の差は大きくなり、労働者の負担は減らない。そのうえ、もうすぐ消費税が増やされる。ますます庶民の苦しみは大きくなる。そして、このような構造のトップにあるのが、軍事力。軍事力が最優先され、そのためには、国民さえ犠牲にさせられている。その行き着く先は、あの10の災いではないか。

 

 

 

 それでは私たちは、あの10の災いから逃れることはできないのでしょうか。そうではない。エジプトに災いが下された時、その災いから守られた人々がいた。イスラエルの人々です。彼らのもとには、光があった。命が守られていた。そこには、主による平和があった。

 

 

 

<エジプトとイスラエル>

 

なぜイスラエルの民は、災いから守られたのか。まず第一に、主が彼らを選んだということ。主が自らの民としてくださった。その恵みが第一にある。

 

第二に、イスラエルの人々が主に聞き従ったということ。最後の災いの時、イスラエルの人々の家に、災いは訪れなかった。それは、イスラエルの人々の家には、鴨居に羊の血を塗ってあったから。イスラエルの人々は、主の言葉に従い、そして災いから守られた。

 

 

 

 エジプトは、軍事力を頼りにしていた。弱者を虐げ、敵を押さえ込む暴力の力によって、国の安定を保っていた。それに対してイスラエルの民は、主なる神を頼りにした。例え、心の隅に疑いの思いがあったとしても、イスラエルの民は主に聞き従った。この違いが、二つの民族の運命を分けた。

 

 

 

<私たちは>

 

 それでは私たちは、かつてのエジプトのようになってはいけない。もう二度と、あの10の災い、まさに究極の災いを、自分自身や周りの人、他の国々にも決して引き起こしてはいけない。

 

かつてイスラエルの民を選ばれた主は、イエス・キリストを通して、全ての人を招いている。その招きを受けて私たちは、主の民に加えられた。主の民とされた私たちは、もはや力に頼る必要は無い。人にひれ伏す必要は無い。軍事力に頼って、一時的な平和や限られた平和を守る必要は無い。私たちの頭は主であり、主による平和を求めることができる。真の平和のために、主に従う。それが、私たちのあるべき姿であり、主の民とされた私たちだからこそなし得る生き方。

私たちは、全ての初子が死ぬ、そのような事の無い世界を創りあげる群れとして、主の民として、今週も世界へ出て行こう。